金蘭千里50式

2015.04.11

金蘭千里学園50周年特設サイト

「金蘭50式」は、50周年を迎える金蘭千里中学校・高等学校の「今」をお伝えする特設サイトです。一年にわたり、様々な視点からのコンテンツを50個ずつ発信して、金蘭千里の姿を描き出します。

最新の記事

保健体育科教諭、男子サッカー部・硬式テニス部顧問  矢野 克之

皆さん、サッカーワールドカップはどうでしたか?
残念ながら日本は予選リーグで敗退してしまいましたが。しかし、前回優勝のスペインやイングランド・イタリア・ポルトガルの予選リーグ敗退にはビックリしましたね。
決勝はドイツとアルゼンチンの対決となり、ドイツが延長後半に得点を挙げ24年ぶり4度目の優勝に輝きました。とても面白かったですね。

ところで、このワールドカップに日本から参加していたのは選手だけではありません。審判員も3名参加していました。(主審 西村雄一 、副審 相楽亨、名木利幸)
PKの判定で話題になったので、皆さんもよく知っていると思います。この3名は前回のワールドカップから4年間チームとして海外の大会などに参加し、FIFA(国際サッカー連盟)から評価されて招集された優秀な審判員です。招集されても、事前研修やテストの結果で試合を担当させてもらえずに帰国する審判員もいるなかで、オープニングゲームである、ブラジル―クロアチアを担当することが出来たのですから凄いことです。また、割り当てされた試合での評価が悪ければ次回の割り当てもなくなります。世界から25組が招集され、準決勝の時点で15組に減らされてしまいます。彼らは最終まで残っていましたし、3位決定戦の予備主審・副審に割り当てられていました。そう考えると、日本の審判員は大変優秀だと思います。

私は金蘭千里に勤務するようになってから長年審判員として活動してきました。それとともに、優秀な審判員を育成するための審判活動(審判インストラクター)もしてきました。そのことについて、少し話をさせていただきます。
審判員は、走ることは当たり前ですが、良い角度(争点が見やすい位置)を保ちながら、ゲームの流れやチームの戦術、また選手の意図を感じながら一瞬の出来事を判定しています。だから、非常に難しいです。
やはりワールドカップで笛を吹く主審はすごいですね。ゲームコントロールも上手いですが人を掌握すること(マンマネージメント)も上手いですね。(副審は普段見ている日本の副審の方が上手だと思いますが)

それでは、私が良い審判を育成するために、どのようなインストラクター活動をしていたのかを簡単に紹介してみたいと思います。
まず、「審判員に求めるもの」として以下のものがあります。

1. 知識の習得
・サッカー競技とは
・競技規則の精神
・論理的な知識
・実践的な知識
・社会的な知識

2. 審判技術の向上
・判定する眼
・動きやポジショニング
・運営能力(オペレーション)
・ゲームマネージメント

3. フィットネスの向上
・基盤―正しい判定をするために動く、ゲームの展開や戦術の理解
・コンディショニング
・スピードと運動量、現代サッカーにマッチングした動き

4. パーソナリティの向上
・強いメンタリティ
・確固たる信念・哲学
・内的動機づけの強化
・人間性の醸成

これらについて、私は地域の審判講習会やR.T.C(レフェリートレーニングセンター)で指導をしていました。また、実際に試合を観て、担当していた審判員と反省会を行い、良かったことや反省点について話し合います。反省会での内容については日本協会・関西協会に2日以内にレポート(コメントと評価点)として提出します。勿論、審判員にもフィードバックされます。
こういうことを繰り返し行うことでより良い審判員の育成を目指しています。
皆さん、これからサッカーの試合を観るときには少し審判員のことも観て下さい。
選手もですが、審判員も日ごろからトレーニングを積んで試合に臨んでいます。
良いゲームは良い審判員がゲームをコントロールしています。いつもと違ったサッカーが観られるかもしれませんよ。

森岡 猛さん(森岡歯科、22期)

金蘭千里創立50周年誠におめでとう御座います。
辻本校長先生を始め歴代校長先生、先生方のご尽力により常に進化している母校を誇らしく思います。
卒業してはや25年。私たちの学年が真ん中ぐらいですね。
人生の貴重な6年を過ごさせていただきました。

小さい頃から手先が器用だったのと、かかっていた歯医者さんに触らせていただいた器具の使いがうまいと煽てられ子供心にとても嬉しくて、歯医者になろうと決めました。在学中もその意志が揺らぐことなく歯科医になりました。

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(ハーバード大学にて発表等)

健康の元となる食事をとるのが口・歯、この分野を任されているのが歯科。噛んだり、飲み込んだり、喋ったり等を支えていく。外科手術も歯に詰め物をする時も、二度と同じ事はなくすべてオートクチュールなわけです。噛むことで立てるようになったり、審美的に綺麗になり活発な生活になったり、いろんな影響が患者様に出てやり甲斐があります。治療した方のいい笑顔をテレビで、サッカーの中継で噛み締めてシュートを打つ姿を見て、海外研修でインプラントや再生療法の最先端を習ったりしてよかったと、また、海外などで発表する緊張とそれまでの準備を楽しめます。地域の健診などで活躍できるのも魅力です。未だに、国内海外の研修会、学会に参加し少しでも進歩し、地域貢献できるように頑張っています。
しかし、海外での研修会や発表をする機会が増え苦手な英語の重要性を実感し、もっと勉強しとけば良かったと今更ですが後悔しています。

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(海外研修)

在学中キャンプで大山、高野山などに行ったり、佐藤講堂で中村紘子さんのピアノを聞いたり、グランドにてイギリスの近衛隊の行進を観覧等なかなかできない経験をさせていただきました。今はイギリス海外研修いいですね、羨ましいです。
創立50周年を期に制服・クラブ活動など革新が行われ現代風になりましたが、昔も今も金蘭千里らしく道場であってほしいですね。

20分テストなど試練を一緒に乗り越えてきた仲間はかけがえの無いものです。
22期もすごく仲がよく、大きな同窓会は5年毎、プチ同窓会は各地で頻繁にあります。
昨年も卒後25周年同窓会をリーガロイヤルホテルにてお世話になった先生方・同級生達と一緒に楽しい時間を過ごせました。

05(金蘭千里OB先輩後輩とゴルフ)

06(22期卒業後25周年同窓会)

金蘭千里の卒業生は毎日の努力のお陰か夢を成し遂げている者が多いと思います。
在学中にはわからない効果が今でも効いているのでしょう。
夢を成し遂げるには、逆算して今日明日と毎日の一歩一歩が一番大事だなと。
皆 同じ時間が流れ歳をとっていくのですが、遊びたい寝たい時間を我慢して自分から時間を作り努力できるかを金蘭千里の20分テスト・サマーコース・キャンプ・徒歩訓練などで努力・忍耐を植え付けて頂いたと思います。といっても自分はまだまだですが。

金蘭千里を目指している・在学している皆さん、コツコツ20分テストの様に頑張りましょう。卒業生も頑張ってるよ。

末筆ながら金蘭千里中学校・高等学校のますますのご発展とご繁栄をお祈りいたします。
また、数多の立派な卒業生がおられる中、執筆の機会をいただきましたこと、誠に有難う御座います。

こんにちは、金蘭千里中学校・高等学校です。

毎週金曜日は、「金蘭50年」と題して、金蘭千里のこれまでの歩みをご紹介しています。

2007(平成19)年度は、創立43年めです。

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4~7月、イギリスのイートン校のギャップイヤー生である
ニコラス・マックスフィールド君を受け入れました。
在校生のご自宅にホームスティのご協力をえました。

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4月13日から毎週金曜日夕方に、FM千里(83.7MHz)で
金蘭千里を紹介する番組の放送を開始しました。
(画像は、FM千里の金蘭千里の番組を紹介する
生徒活動記録ブログの記事(別ウィンドウが開きます)です)

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5月、チェコ少女合唱団の演奏会(金蘭会学園主催)に、
本校の音楽部員が出演し、共演しました。

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9月の高中祭では、古本フリーマーケットが初めて開催されました。
校内外より事前に提供された書籍の約9割以上が渡されるという盛況ぶりでした。
(画像は、高中祭の開会式(行進)と光の広場です.
古本フリーマーケットは図書室横の光の広場で毎年開催されています)

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中一から高二までの5学年において、校外学習を開始しました。

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この年度より全国学力・学習状況調査(いわゆる「全国学力テスト」)が始まり、
本校も中3が参加しています。

2007

大学受験合格者数の一覧です。

「出会い」

私はこの一年で「特別」といえる友達ができました。みんなといると、辛いことを忘れて、楽しい時間を過ごすことができます。

私がみんなと仲良くなったきっかけは、筆箱を忘れた人に鉛筆を貸したことや、たまたま一緒に帰ることになったことなど、些細なことで、正直その頃は、こんなに「特別」な存在になるとは全く思ってもいませんでした。しかし、みんなと話をしていくうちに、みんながそれぞれ持っている個性や考え方にひかれていきました。

私はみんなを平等に見ることができない時があります。でも、色々な考えを持った人と出会うことで、自分の考えや視野を広げ、どんな時でもみんなのことを考えて、受け止められる人になっていきたいと思います。

これから六年間で出会う、たくさんの人との出会いを一つ一つ大切にしていきたいと思います。

 

「未来へ」

十年後の私は、どこで何をしているのだろうと、最近よく考えるようになりました。しかし、未来の自分の姿は、今の自分には、全く分かりません。でも、未来の自分がどうなっているかは、今の自分次第だと思います。

今、私は、とても充実した中学校生活を送っています。学校生活には、嬉しいことや辛いことがありますが、どんな時でも言えることは、周りに支えてくれる友達がいるということです。一緒に笑ったり、一緒にふざけたり、一緒に悲しんだり。私は、そんな友達に出逢えたことに、とても感謝しています。みんながいるから、今の私は成り立っているのです。

きっと十年後になっても、友達に支えられているということに変わりないと思います。だから私は、未来の自分が、友達を愛し、大切にする立派な大人になっていると信じ、今の私に出来ることを、未来に向かって精一杯やっていこうと思います。

(2作品とも、中一1  O.H)

数学科教諭、科学部顧問 白木 雄大

中学2年のときに、ベースという楽器を始めた。

それが私の音楽人生の始まりだったと思う。大学では地球物理を専門に研究し、卒業してからは教壇に立ち数学を教えているが、それらと並行して音楽をずっとやり続けてきた。

たまたま兄が使わなくなったエレキベースが家にあり、それを弾き始めたのがそもそもの始まり。誰も教えてくれる人はいないので、独学で練習した。
どんどん上達するのが楽しくて毎日毎日弾き続けた。中学3年のときには、貯めたお金でエレキギターも買った。高校卒業まで、ほとんど毎日ギターかベースを弾いていたと思う。

大学に入ってからは軽音サークルに所属し、バンド活動を始めた。始めはコピーバンドで腕を磨いた。一人で練習するのとは違い、バンドメンバーと息を合わせるのは大変だった。

作曲もするようになった。始めはどうやって作ればいいのかわからず、途方に暮れた。なかなか納得のいくものは出来なかった。どうやら音楽理論とい
うものを学ぶと作曲がしやすくなるらしいということを知り、ちょっと勉強してみることにした。

 

それが、とんでもない世界だった。

 

音楽理論とは、こういうことに気をつければいい曲ができるよとか、この曲がよく聴こえるのはこういうカラクリがあるからだよ、という公式のようなものをまとめたものだが、これが理系脳の私にとっては面白すぎた。数学や物理と同じくらい緻密で広大な世界が広がっており、私はすぐに惹き込まれた。

音楽理論のおかげで、作曲に幅が出た。主張や個性のある曲が作れるようになった。ただ誤解を招かないために言っておくが、音楽理論を学んだからと
いって、必ずしもいい曲が作れるようになるわけではない。それとは別に相当な努力が必要だと思う。

 

最後に一つ問いを投げかけたい。

 

数学や物理の理論と、音楽理論にはある決定的な違いがある。その違いがおわかりだろうか。あえて答えはここに記さないことにする。是非、考えてみてほしい。

私はその決定的な違いのせいで、いまだに音楽をやめられない。

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こんにちは、PC部です!
今回の千里50景は、「中央職員室」をご紹介します。

この中央職員室は、
金蘭千里に複数ある職員室の中でも一番規模の大きい職員室になっています。

ここ以外には、
理科の先生がいらっしゃる職員室、
芸術科の先生がいらっしゃる職員室、
体育の先生がいらっしゃる体育教官室があります。
中央職員室には、国語科、社会科、数学科、英語科などの先生方がいらっしゃいます!

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山田惠資さん(10期、時事通信仙台支社長兼編集部長)

DSC_1836(仙台市の定禅寺通りにて)

創立50周年、おめでとうございます。心からお祝い申し上げます。また、これまでわが母校のために尽力されてこられた辻本賢理事長をはじめとする先生方、職員の皆さまに卒業生として深く感謝いたします。

私は1971年4月から77年3月まで6年間、金蘭千里中学・高校に在学。その後、上智大学を経て1982年に報道機関である時事通信(JIJI  PRESS)に入社し、以来、ほぼ一貫してジャーナリストとして働いてきました。「通信社って何をするの?」と思われる方もいるでしょう。取材して報道する。この点においては新聞社と全く同じですが、自前で新聞を発行しているわけではありません。簡単に言うなら「ニュースの卸問屋」です。新聞社、放送局、あるいはインターネットのサイトにニュースを提供する会社です。

報道機関として日本に存在する通信社は時事通信と共同通信です。海外ではAP(米国)、ロイター通信(英国)、AFP(フランス)、新華社(中国)などが有名です。今でこそインターネットを通じて、ニュースを一般の人々に直接伝えることができますが、それはこの20年くらいのこと。もともと通信社の記事は、新聞や放送番組を通じてのみ一般の人に伝わっていました。

私の場合、勤務地は福岡、大阪、本社のほか、4年間、ワシントン特派員として米国の政治を取材しました。実はそのワシントンでの勤務を終えて日本に帰国したのは2011年9月10日、つまりあの米国で同時多発テロが起きた「9・11」の前日でした。他の仕事ならテロ発生の直前にワシントンを離れたのだから「幸運」だったと言うべきところですが、われわれジャーナリストにとっては逆です。もしあと1日帰国が遅ければ、同時多発テロという世紀の大事件を取材することができました。事件そのものは実に不幸であり悲惨でしたが、記者として取材する機会を1日違いで逃したことは不運でした。

一方で、私はワシントンから帰国した後、小泉首相時代の首相官邸を担当しました。その小泉首相が2002年9月に、日本の首相としては初めて北朝鮮を訪問して、金正日総書記(当時)と会談した際は、私も日本から首相同行記者団に加わり、平壌を訪れました。これなどは歴史的な出来事に関わったという点で、記者として幸運でした。

昨年7月には本社から仙台支社に転勤し、管理職的な仕事や不慣れな営業もしていますが、あくまで本業はジャーナリストであると自負しています。特に、東北地方は2011年3月11日に東日本大震災に見舞われ、津波によって多くの方が犠牲になりました。同時に深刻な原発事故も発生し、仮設住宅暮らしを強いられている人が現在も23万人以上に上っています。そのような東北で勤務する機会を得られたことは、記者としての視野を広げる上でとても役に立っています。また、長く取材してきた中央政界を、地方の視点から見ることは新鮮でもあります。

社会人になってから33年。今振り返ってみて、私は記者という職業を選んでつくづく良かったと思っています。予測不能な出来事に出くわすことができるからです。直近の例を挙げれば、昨年12月に行われた衆院選挙です。これは多くの政治記者がそうであったように、私も11月に衆院が解散されるぎりぎりまで、「まさか年内に選挙なんかするわけがない」と思い込んでいました。しかし、そうした観測の裏をかくかのように安倍首相は解散・総選挙に踏み切りました。「唐突」とも言える今回の解散劇も、実は安倍首相が政権基盤を強化するために周到に練った戦略上のウルトラCでした。私としては、政局の予想が外れたことは残念であり、読みの甘さを反省していますが、一方で、そんな「想定外」の出来事に直面するたびに、記者という職業のおもしろさを実感しています。

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さて、中学、高校に通う若い在校生の皆さんは将来、どんな職業を目指そうとしているのでしょうか。既に目標を定めている人もいれば、まだ、何も考えてないという人もいるでしょう。仮にジャーナリストになりたいと思っているなら、体力、好奇心、社交性の3つがあれば「適性あり」です。ただ、どんな職業を目指そうとも、ぜひ政治には関心を持ってください。政治は決して別世界の出来事ではなく、国民の生活に直結しているからです。どうか、新聞でもテレビでもインターネットでも、1日1回は政治のニュースに接する習慣を身につけてください。なお、私は毎週月曜朝、ラジオ番組「日本全国8時です」(TBSラジオ系、午前8時)という番組で政治解説をしています。あいにく関西地区では放送されていませんが、インターネットのラジオでは聴取できます。よろしければお聴きください。

母校のますますのご発展をお祈りしています。そして、現在、金蘭千里に通う若い皆さんとどこかでお会いし、語り合える日が来ることを楽しみにしています。

DSC_1595(同僚たちとの宴会で)

こんにちは、金蘭千里中学校・高等学校です。

毎週金曜日は、「金蘭50年」と題して、金蘭千里のこれまでの歩みをご紹介しています。

2006(平成18)年度は、創立42年めです。

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校地全景です。北グラウンドには、仮設校舎の撤去後の跡
(Hのような痕跡)が、まだうっすらと残っています。

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4月、 テニス部、図書ボランティア(現在は図書スタッフ)が発足しました。
(画像は現在の図書室.かつての図書委員は廃止されました)

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11月、大阪センチュリー交響楽団の演奏で、
第1回ファミリーコンサートが開かれました。

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この年度より、テニス部が活動を開始しました。

吹奏楽部の初代の部長として1年間が過ぎようとしています。

長いようで短いような感じでしたが、多くの活動を行いました。

まず、10月と11月の学校説明会でクラブ紹介の演奏をしました。

1分間という短い時間でしたが、初舞台であること、これから金蘭千里に入ってくるかもしれない人たちの前であること、また彼らの中には私達の演奏を聴いて入部を決める人もあるかもしれない、という期待とプレッシャーによる緊張でいっぱいでした。

次の発表の場としては12月のクリスマスコンサーがありました。プログラムとしては学校説明会の曲に新曲そしてクリスマスにちなんだ曲というもので、校内の人にきちんとした形で聴いてもらうのはこれがはじめだったので、どの曲にも力が入り、特にクリスマス曲は期間限定ということで練習にも熱が入りました。

コンサート当日までは、どのくらいの人が興味を持ってくれるのか、きちんと演奏できるのか、ずっと心配でしたが、本番では予想外に多くの人に来ていただき、またアンコールまで演奏することができ、本当に自分達も楽しむことができました。また、聴きに来て下さった方たちも楽しんでいただけたのではないかと思っています。

今、私達は2月下旬の学校説明会午後にあるクラブ発表会と、3月下旬の第1回定期演奏会に向けて練習を重ねています。私達がここまで努力してきた成果をご覧いただく場にしたいと考えておりますので、少しでも興味をもたれた方は、在校生、保護者の方だけでなく、新一年生、また外部でも是非お越しいただければ、と思います。

部員一同、お待ちしております。

(吹奏楽部  N.R)