金蘭千里50式

2015.04.11

金蘭千里学園50周年特設サイト

「金蘭50式」は、50周年を迎える金蘭千里中学校・高等学校の「今」をお伝えする特設サイトです。一年にわたり、様々な視点からのコンテンツを50個ずつ発信して、金蘭千里の姿を描き出します。

最新の記事

こんにちは、金蘭千里中学校・高等学校です。

毎週金曜日は、「金蘭50年」と題して、金蘭千里のこれまでの歩みをご紹介しています。

2004(平成16)年度は、創立40年めです。

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2004年の学校要覧に掲載されている校舎全景(校舎解体前)です。
(2004年度中は、北グラウンドに仮設校舎があり、旧校舎は1月に解体が始りました)

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11月、校内英語暗唱・弁論大会が初開催されました。
(画像は、その様子を伝える学校だより第67号(一部)です。
なお第2回以降は,英語コンテスト(Kinran-Senri English Contest)に名称変更しました)

2004

生徒数は、引続き1学年150名、全校生900名前後で安定しています。
男子と女子の数はほぼ同数です。

毎学期の「校内大会」は私たちが心待ちにしているイベントの一つです。金蘭千里では、「校技」というものがあり、6年間を通して、男子はサッカー、女子はバレーボールに励みます。校内大会とは、その練習の成果を競い合うものです。中1から高3まで全ての学年が参加するため、自らの成長を感じる場でもあります。

バレーボールで相手に点を与えないためには、ボールを落とさないことが基本です。そのためには、チーム内でボールを繋げていく、チームメイト一人一人が互いのミスを埋められるよう、常に備えておく必要があります。自分自身のことを考えているだけでは、点に結びつかないのです。こうすることで、助け合いの精神が生まれ、固い絆へと繋がるのです。行事が少ない金蘭千里では、皆が一生懸命となる数少ない機会としてしっかり取り組みたいです。

(高一5   T.K & O.M)

『月と六ペンス』

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1919年に出版されたサマセット・モームの小説。

画家のポール・ゴーギャンをモデルに、絵を描くために安定した生活を捨て、死後に名声を得た人物の生涯を、友人の一人称という視点で書かれている。

この小説を書くにあたり、モームは実際にタヒチに赴き、ゴーギャンの絵が描かれたガラスパネルを手に入れたという。題名の『月』は夢を、『六ペンス』は現実を意味するとされる。

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国語科教諭、演劇部顧問  谷本 祐子

つれづれと空ぞ見らるる思ふ人
天降り来むものならなくに

これは、平安時代の歌人和泉式部が、恋人・敦道親王を亡くした後に詠んだ歌である。

<手持ち無沙汰で思わず空を眺めてしまうことだ。恋しいあの人が天から降りて来るわけでもないのに> 口語訳すると、ほぼこんな意味になるだろうか。

私がこの歌と出会ったのは、大学二年生の国文学講読の最初の授業だった。恩師・藤岡忠美先生は、「助動詞の活用や接続等の文法的な知識は、きっと受験勉強をしてきた皆さんの方が得意だと思います。ただこの歌は、「らるる」という助動詞が、「つれづれと」という言葉と響き合って、最愛の人を失い、中空(なかぞら) に漂っている式部の心情を見事に表していますね。」と仰った。そして、文学史で書名だけを覚えた、中河与一の『天の夕顔』が、この歌から想を得て書かれたことも話して下さった。恋多き女性として品行に関してはあまり評判が良かったとはいえない和泉式部を、残された資料を丁寧に読み解きながら<自照の歌人>と評された先生。自照とは、自らに起こった不幸の原因を自らの罪業に求める自省の心が極めて強いという意味なのだが、私にとってこの授業はまさに目から鱗であった。

所謂受験文法だけに頼らない古文の読解、古語に含まれる深い意味、古典の世界は何と奥深く興味深いのだろうか、この衝撃と感動につき動かされて、ここまで歩いてきたと思っている。

歳を重ね、身近な人、かけがえのない人が彼岸に旅立つことが多くなった。春夏秋冬、頭上に抜けるような青空が広がっている時、重い雨雲が空を覆っている時、空を見上げ、思わずこの歌を口ずさんでしまう。その度に、千年の時を超えても色褪せぬどころか、一層輝きを増す古語の美しさ、力強さに感動も覚える。 十代の生徒たちに古典作品を解説しながら、もうしばらくはこの此岸で、豊かな古語の海に舟を浮かべていようと思う。

 

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こんにちは!PC部です。
受験生の皆さんはお疲れ様でした。
三学期も始まり、生徒も休みボケからも脱出した頃になってきました。
さて、
今回の50景は「生物・化学教室などの実験施設」についてです。
金蘭千里には、生物・化学・地学・物理と4種類の実験教室があります。
今回は、その中から生物・化学の実験教室について、
授業のようすとともにご紹介します。

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木村史明さん  (11期、橿原市昆虫館)

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皆さんは生きた昆虫に素手で触れることが出来ますか? 昨年、虫に触れない高校生が6割に達し、25年前の3割から倍増したとの報道が話題になりました。

私は幼少のころより、様々な生き物に接して育ちました。家は新興住宅街にありましたが、近くに緑豊かな寺やため池があり、小さな生き物に出会う機会に恵まれていたのです。中でも昆虫に興味があった私は、今では全く見られなくなりましたが、当時は少なからずいた、夏休みに網を持って一日中セミ採りに興ずる昆虫少年の一人でした。

そんな私は中学3年から金蘭千里でお世話になったのですが(おそらく金蘭千里の歴史50年の中でもこの年だけだと思いますが、中学3年生一クラスだけの新規募集がありました)、その夏にその後の人生に大きな影響を与える貴重な体験をさせていただくことになります。

それは夏休みに有志の先生方により参加者を募って行われた、現在の伊那市戸台での合宿です。初めての山小屋宿泊や、仙丈岳や甲斐駒ケ岳への登山など40年を経た今でも鮮明に記憶に残っているのですが、この合宿の企画者のお一人が故中川恭行先生でした。中川先生は数学の先生でしたが、関西では名の知られた甲虫の専門家でもあり、中でもカミキリムシ科にたいへん造詣が深い先生でした。合宿中、この中川先生に専門的な昆虫の採集の仕方から科学的な昆虫標本の作成方法まで細かく御指導いただき、また、これまで身の回りで見てきた種類と全く異なる昆虫たちと出会い、すっかり昆虫のとりこになりました。

そして、このころより将来昆虫に関わる仕事に就きたいと漠然と意識するようになります。

勉強が不得手だった私ですからすんなりというわけにはいきませんでしたが、何とか昆虫学研究室のある大学に潜り込むことができ、昆虫三昧の学生生活を送ることになります。在学中は、毎年のように、1~2ヶ月間の台湾での昆虫調査を行う機会にも恵まれました。

放蝶温室 外観橿原市昆虫館外観

就職するとすぐに新しく建てる昆虫館の設計に携わります。当時、西日本には標本展示を中心とした昆虫館や博物館はあっても、生きた蝶を展示するような施設はありませんでした。そこで、自由に蝶が飛び交う空間の中に入ってもらい、目の前で蝶の行動が観察できる「パススルー式」の放蝶温室を目玉に据えた橿原市昆虫館を平成元年にオープンさせました。その後、伊丹市や広島市、箕面公園などに同様の放蝶温室を持った昆虫館が造られますが、橿原市昆虫館は西日本でその先駆けとなりました。

子供たちの理科離れが言われて久しいですが、昆虫を通しての自然科学や環境学への興味付け、動機付けをその活動の柱とする橿原市昆虫館は、今年25周年を迎えました。

その間、昆虫館に対するニーズも変化していきます。地方自治体レベルでの生物多様性地域戦略策定が求められるようになる中、その基盤施設としての役割も担っていくことになりますし、環境省の行っている、絶滅の危機に瀕する昆虫の生息域外保全事業にも携わるようになっています。

このように、たいへん幸運なことに、私はこの金蘭千里時代に抱いた夢のとおり、昆虫に関わる仕事に携わってきましたが、冒頭の大阪での報道を見ても、まだまだ力不足を痛感しているのが現状です。

橿原市昆虫館 エントランス

最後になりましたが、金蘭千里創立50周年、本当におめでとうございます。

生徒の皆さんは日々の勉学にたいへんでしょうが、ぜひ金蘭千里在校中に多くの本を読み、積極的にいろんな体験をして、将来の夢への糸口を探していただければと思います。

こんにちは、金蘭千里中学校・高等学校です。

毎週金曜日は、「金蘭50年」と題して、金蘭千里のこれまでの歩みをご紹介しています。

2003(平成15)年度は、創立39年めです。

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この年度から、中一英語の一部授業で、各クラスを2分割し、
きめ細かな指導をする体制が始まりました。
(画像は、学校だより第66号の巻頭です)

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4月、イギリスのイートン校からクワイヤー(聖歌隊)が来校し、素晴らしい歌声が披露されました。

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8月に、校地北部にテニスコートが完成しました。

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9月には、北グラウンドに設置された仮設校舎での授業が始まりました(2005(平成17)年3月まで)

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2003年2月より半年間、イギリスのイートン校のギャップイヤー生である
ウィリアム・ヤング君を受け入れました。
(在校生のご自宅にホームスティをお願いしました。画像は、学校だより第65号です)

私は小学2年生のときから空手を習っています。そして、先日、代々木体育館で行われた空手の試合の全国大会で第3位をとることができました。しかし、ここまでの道のりは簡単ではありませんでした。

小学3,4年生のとき、私は、ずっと空手を辞めたいと何度も思っていました。私が習っているのは型ではなく、フルコンタクトカラテという直接打撃の空手なので、練習に行ってもただ痛いだけ、そして、試合に出場しても全く勝てなかったので、いつも練習に行きたくない、辞めたいと思っていました。その頃は練習に行く直前まで寝たふりをしたり、調子が悪いふりをしたりしていました。しかし、いつも母に無理矢理連れて行かれ、泣きながら通っていました。でも、今ではこのように無理矢理でも連れて行ってくれた母に、私は感謝しています。このようなことがなければ、もうとっくに空手を辞めていて、全国大会で入賞するということはなかったと思います。そして、いつも道場まで送迎してくれている父、祖父、また、行く前にご飯を作ってくれている祖母にも感謝しています。いろいろな人に支えてもらったお陰で獲得することができた3位です。

中学2年生まで試合に出場しても全く入賞できなかった私が、今このように入賞できるようになったのは周りの支えのお陰で練習を辞めず、一所懸命続けていたからだと思います。諦めず努力し続ければ結果がついてくるといいことを実感しました。

今では空手が好きで、勉強が忙しいときでも道場に通って練習しています。これからも空手の練習を頑張って、また来年、全国大会に出場したいです。

高一4  H.H

『心屋仁之助のあなたは「このため」に生まれてきた!』(河邉敦子)

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この本を読むきっかけは、性格リフォームカウンセラーという肩書きの言葉に興味を持った事です。

私は早生まれということもあり 小学校6年まで他の人と体格差があり、転校3回ということもあって人間関係や学習面など いろいろなことに悩み迷う生活を送っていました。そのたびに多くの人の言葉に助けられ、今日の私になっています。

たとえば “夢は才能のメッセージ” “何かを選択する必要がある時は、自分にとって厳しいと思う方を選択すると間違いない” “自分の前にいる人は自分の鏡である” “努力は決して裏切らない”など。

この本を 開くと短い文章でなるほどと思うことがピンポイントで例を挙げてかかれていて 思い当たることがたくさんありました。考え方や見方を変えるだけで心が軽くなり 自信を持って行動に移すことができる気がします。

興味もたれたら 読んでみてください。

【Amazon】  『心屋仁之助のあなたは「このため」に生まれてきた!』

理科教諭、科学部顧問  竹尾 真

幼い頃から、科学者(お茶の水博士のような)にあこがれていた。

特に化学に興味を持ち始めたのは、高校2年のときである。単純に実験がおもしろかった。

当時どんな実験をやったかは、余り覚えていないが、『アニリンの合成実験』は鮮明に覚えている。苦労してできたアニリンが赤色(教科書では無色または褐色)をしていた。私にはその赤色の物質が、まるでルビーのように思えた。その後、アニリンブラックという黒色の染料に変化することにも驚いた。目に見えない原子の世界で一体何が起こっているのか?それを想像するのが『化学』だと思った。

実験が終われば、当然実験レポートの提出が義務づけられていた。私は、図書館でいろいろな専門書を調べた。当時は、今のように簡単にインターネット検索することなど出来なかった。苦労して提出したレポートを、担当の先生が丁寧に見てくださった。次のレポートも頑張って書こうと思った。

教師になってから、ある進学校の理科の先生が、こんなことをおっしゃっていた。

『高校の実験は、結果がわかっているので、やる意味がない。それより問題演習をやった方が生徒のためであると。』果たしてそうであろうか。私が悩んでいたとき、それを吹っ切ってくれたのは、勤務先の高校での、I先生との出会いであった。教科書に載っている実験をすべてやってみようや! 結果は教科書に書いてあるとおりである。(それが実は凄いことなのだ!)いや、結果が教科書通りでないと困る。しかし、実験というものはそんなに甘くない。まず、準備が大変である。結果が予想と違う。班によってまちまちな結果がでる。さらに、器用な生徒もいれば、怪我をする生徒も・・・ それを乗り越えて余りある成果があるはずだ。

いま、化学実験に興味を覚えて、科学者への道をめざす生徒が一人でも多く現れることを望んでいる。