金蘭千里50式

2015.04.11

金蘭千里学園50周年特設サイト

「金蘭50式」は、50周年を迎える金蘭千里中学校・高等学校の「今」をお伝えする特設サイトです。一年にわたり、様々な視点からのコンテンツを50個ずつ発信して、金蘭千里の姿を描き出します。

最新の記事

kei_19

こんにちはPC部です。
今日は金蘭千里のサマーコースについてご紹介したいと思います。

皆さん「サマーコース」って何?とお思いでしょう。

サマーコースとは、1学期終業式後や2学期始業式前に1週間行われる午前中授業のことです。
続きを読む

中西泰造さん (福井大学医学部附属病院救急部  33期)

10626822_674045122711428_7689839407291884072_n(中央が中西さん)

創立50周年おめでとうございます。自分の母校が益々発展していくのを見るのは嬉しく、また励まされるようです。現在、私は福井大学医学部附属病院救急部で医師として働いています。慌ただしい日々の中で、金蘭千里中学校・高等学校で過ごした日々を振り返ることはあまりありませんが、考えてみると私が金蘭千里高等学校を卒業してはや14年。当時生まれた赤ん坊が現在、金蘭千里中学校に通学していると考えるとめまいがするほどの衝撃を覚えました。

当時を振り返って私が金蘭千里中学校・高等学校の良さを一つあげるとすれば、学習環境と言えるでしょう。先生方の熱心な指導はもとより、20分テスト、サマーコース等どれをとってみても効率良く勉強を続けられる環境が整っていたと思います。また同級生のやる気に触発され、負けじと勉強したのを覚えています。サッカーの授業で培われた協調性も、現在の仕事に活かされているような気がします。

金蘭千里中学校・高等学校で熱心にご指導頂いたかいもあり、大阪市立大学医学部に進学した私は、紆余曲折をへて現在はなぜか福井県で働いております。親戚が福井にいるわけでもなく、縁もゆかりもありません。実際、福井に来るまで私は福井県の場所さえ知りませんでした。医師になってからの最初の2年間は研修医といい、様々な科をまわって広く学びます。そして医師3年目になる時に初めて專攻する科を決めます。大阪で研修医として働いた2年間はとても有意義であったと同時に、救急医療の色々な問題に直面した2年間でもありました。例えば、患者さんのたらいまわしの問題です。病院によって原因は様々ではありますが、患者さんが困るだけでなく最前線で働く医師にとっても患者さんを受け入れられないのは心苦しいものです。そこで当時から、救急患者さんのたらいまわしのない県として有名だった福井県で救急医として学ぶことを決めました。今でこそ、どんな患者さんでも断らずに受け入れる『北米型ER(Emergency Room)』というフレーズはよく聞くようになりましたが、私が研修医だった7年前に北米型ERを実践している地域は私が知る限り、沖縄県と福井県しかありませんでした。この両県は昔から北米型ERのシステムを導入した県として有名だったのです。こういった経緯で始まった私の福井生活も6年目となりました。

救急と聞いて激務を思い浮かべる方も多いとは思いますが、当院では24時間体制である代わりに8時間のシフト制となっています。勤務は日中だったり夕方、深夜とバラバラですが、他科の医師と比べるとはるかに短い労働時間と思います。しかしまだ若手である私は夜の勤務が多く、夜な夜な無精ひげを生やし車で出かけていく私を見て、近所の方々はろくな仕事とは思っていないことでしょう。

最後に医師を目指す皆さんにエールを送りたいと思います。医師は素晴らしい職業です。私はまだ医師になって9年ですが断言できます。間違いなく自分の一生をかけるに値する職業です。医師は生命の誕生の場で、お母さんや家族におめでとうと言うことができます。また安らかな最期を迎えるお手伝いをし、患者さんと家族の別れの場面に居合わせるのも医師です。医師としてのやりがいや一生を通して得られるものに比べたら、1年や2年まわり道をして医学部に入ることは決して無駄ではないと思います。決して夢をあきらめないで下さい。

末筆ではありますが、母校と皆様のさらなるご発展を心よりお祈り申し上げます。

10646719_674045039378103_5359356423353994217_n

img097

こんにちは、金蘭千里中学校・高等学校です。

毎週金曜日は、「金蘭50年」と題して、金蘭千里のこれまでの歩みをご紹介しています。

1982(昭和57)年度は、創立18年めです。

この年、母校讃歌の歌詞が一部改訂され、現在のものになりました。
(画像は、30年記念誌の裏表紙から引用しました。歌詞は、上村義一第三代校長先生のご真筆です。)

佐藤記念講堂が竣工しました。当時は講堂と呼んでいました。

国公立大学に共通一次試験が導入され(1979年度入試より)、当時は「史上最大の変革」などと言われたりもしましたが、
本校の合格実績をみる限り、向かい風とはならなかったようです。

「人の性は悪にして、その善なるものは偽なり」
古代中国の儒家、『性悪説』を唱えた荀子は、『性善説』を唱えた孟子の考えに対してこう言いました。でも私は、授業中にそれを聞いて、それもまたどうなのだろうか、と思いました。

今も昔も、世界には欲望が満ちあふれています。荀子はまた、このような欲望や、人を憎む心、というものが争乱の原因となる、と主張しました。それは真であり、現に今も、世界各地では戦争が起こり、そうでない日本でも、争乱はないかもしれませんが、世界から見るとてもちっぽけなことで、数え切れぬ争いは絶えません。

でも先にも言いましたが、私は性悪説も、そして性善説も完全肯定はしません。もっと正確に言いますと、その両方の考え方を肯定します。そしてここからは完全に私という一学生の持論でもあります。

人間は、生まれて来てすぐの、また一個人の持つ情報の少ない頃は、善であったはずなのです。でも成長して、周りの様々な欲望に触れて、自分が善であったということを忘れ、いわゆる悪、というものになるのです。でも何かのきっかけで、自分が善であったことを無意識のうちでも思い出すことが出来たなら、そしてそこに戻ろうと思えた人は、善に限りなく近づくことが出来るのです。でももし出来なかったら、戻ることは難しいです。

戦争は昔から起こり続け、そして未来も終わらないでしょう。でも、終わった戦争もたくさんあります。これは、善と悪が共存していなければ起こりません。また、完全なる悪人も、善人もいません。けれど私たちは自分の意志で、善に近づくことはできるはずなのです。授業中にふと思いついただけの安直な考えですが、間違っているとも思いません。だから私は、この考えを信じてみようと思います。そして、この考えに賛同してくれる方がいましたら幸いです。

(高二1  N.K)

『こころのチキンスープ』  ジャック・キャンフィールド

61Uj1ocgrvL

この本は、私にとって愛と人間性の大切さについて考えさせられた、生涯忘れられない一冊です。

この本のタイトルになっている『こころのチキンスープ』由来は、ヨーロッパやアメリカではかぜをひいたり、身体の具合が悪くなったりすると、お母さんやお祖母さんが早くよくなるようにとチキンスープをつくってくれます。いわば長い歴史の中からあみだされた生活の知恵でしょうか。最近になって、これには科学的にも根拠があることが分かってきたようです。チキンスープが身体をいやすように、この本のストーリーが読む人の心や魂をいやすことができればいいという願いを込めて、この本のタイトルがつけられました。

とげとげ、ぎすぎすのこんな時代だからこそ、自分を信じること、自分を愛すること。人を信じること、人を愛すること。
人生でいちばん大切なものを、もう一度、見つめてみませんか?

短編集になっており、読みやすくなっています。
一度あなたのそばに置いてみて下さい。人生が変わると思います。

【Amazon】  『こころのチキンスープ』

理科講師、科学部顧問  土居 浩規

全く究めるなんてことにはなっていませんが、私は大学の時にスノーボード競技にどっぷりはまっていました。
ジャンプ台やハーフパイプで跳び、そこで回転をしたうえでうまく着地する。他にも手すりの上に乗り、雪上でないところを滑る。やらない人から見れば「あんなことするなんて怖くないのか」と思われる行為をしていました。

実際にはとてつもない恐怖があります。経験者はわかるかもしれませんがジャンプ台で跳ぶ瞬間は足元と空しか見えません。つまり着地点が全く見えない状態で跳びます。跳んでいる間に着地点が見えますが着地は自分の足。むしろ自分の足だから余計に信用できません。そんな状況だから跳ぶ瞬間、失敗→ケガ→骨折→入院→今シーズン×など悪い想像の連鎖が頭をよぎり、恐怖で体が竦みます。竦めば当然着地の体勢をとれずに墜落します。

この恐怖を克服するためには「成功するイメージ」を頭の中に思い描くことです。スノーボードで跳んで着地することは物理学的に考えても難しくない。だから必ずできる、それだけを考えます。
成功の良いイメージを持つと恐怖心が無くなり周りがよく見え余裕も生まれ、成功を引き寄せます。しかし、悪いイメージかを持つと恐怖心が生まれ視界が狭まり余裕が無くなり、成功が遠のきます。

何事でもチャレンジするときに最悪の予測を立てその最悪の事態になったときの対処を準備することは大切です。しかし、しすぎることで考えが後ろ向きになってしまい結果に後悔が残れば本末転倒です。
成功までの道は弛まぬ努力と成功するイメージを持つことだということを生徒に少しでもわかってもらえればと思います。

ai_kei18

こんにちは!PC部です。
さて、今回は一日の終わりのようすについて紹介しようと思います!

その日最後の授業終了を告げるチャイムが鳴れば、お疲れ様でしたの気分になります。
担任の先生の終礼が終わると、これで帰宅することができます。
続きを読む

上田  宗平さん

(大阪大学GLOCOL(グローバルコラボレーションセンター)招へい研究員  40期)

金蘭千里創立50周年おめでとうございます。

私は今、SATREPSプロジェクトというJSTとJICAの共同事業の中の一つのプロジェクト(http://www.satreps-mdrb.jp/index.html)に参加させて頂いております。基本的にベトナムに住みついて働き、ベトナム人研究者の方々と共に、薬剤耐性菌(薬が効きづらくなってしまった細菌)の伝播メカニズムの解明に取り組んでいます。

01
02

(調査風景)

ベトナム生活の中で、まず圧倒されるのは現地のヒトのエネルギッシュさです。「この人達、人生必死に生きながら楽しんどるなぁ」というのはよく感じます。日本の通勤電車でよくみかける生気のないヒトはまず見かけません。
私が金蘭千里に通学していた頃も同じく生気のないまま毎朝登校し、辻本校長先生の挨拶にも、覇気のない声で返していたことを覚えています。(申し訳ありません。)今になってその原因を振り返りますと、「夢や将来の目標を明確に持っていなかった」「自分のやりたいことがよく分からなかった」ことが大きな問題だったのだと感じています。お恥ずかしいながら、目の前のテストに追われるだけの日々を送り、「良い大学に入る」という漠然とした目標だけを持っていました。そんな私ですが唯一、生物科目が大好きであったことが今の仕事に就くきっかけとなっています。

03

最近、感銘を受けた講演があります。ノーベル賞を受賞した山中先生が京都大学でおこなった高校生に向けた講演です。(高校生特別授業「京都賞 高校フォーラム 」人間万事塞翁が馬 https://www.youtube.com/watch?v=ReKaknHHyTM) この中で山中先生はVisionとHard workが大事であると仰っています。努力(Hard work)することはもちろん大事ですが、長期目標(Vision)を見据えることも肝心であるという旨です。ベトナムで暮らしていると、よく現地の人が目を輝かせながら将来の夢や目標を語ってくれます。率直に羨ましいんですね。しかし彼らと対話を重ねた影響でしょうか、そんな私にも、「ベトナムなどの途上国の公衆衛生の向上に貢献する」という、「夢」ができつつあります。アプローチはまだ模索中ですが、VisionとHard workで邁進するつもりです。

末筆ながら金蘭千里中学校・高等学校の益々のご発展とご繁栄をお祈り申し上げます。

img153

こんにちは、金蘭千里中学校・高等学校です。

毎週金曜日は、「金蘭50年」と題して、金蘭千里のこれまでの歩みをご紹介しています。

1981(昭和56)年度は、創立17年めです。

img186
校舎全景です。
1981年には、1階中央にあった職員室のバルコニーの部分が改築され、職員室が拡張されました。

1981年度より、中高一貫教育課程が発足しました。
以下は、中高一貫を決意した上村学校長の学校だより第16号(1980年7月)にある文章(一部抜粋)です。

---
 新学年度において決意しました重要な事柄は本校が創立以来目標として掲げて参りました「中高一貫の教育」を具体化することであります。即ち、学年編成では中高六個学年をすべて五学級に揃えます。第一年度(昭和五十六年)の新入生から中学校百五十名、高等学校百五十名(内部進学百二十名を含む)とします。こうして第四年目には高校生は内部進学者ばかりとなる訳です。また教育課程の編成についても、この度の学習指導要領の改訂に併せて大学進学を志す生徒のための六カ年の能率的な教科科目の配当が必要になって参るわけで、その検討作業が始められています。「ゆとり」と「充実」については本校の教育課程は今回の改定学習指導要領に先行する面をすでにもっていたと言えますが、「ゆとり」とは精神的なゆとりであるべきで本校教育目標の特色、生徒の希望からも単なる学習時間の減といった形の上のものであってはならないと思います。

---

「無題」

ふと懐かしさにかられ、小学校の卒業文集を久しぶりにひもといてみた。すると、まだあどけない写真や先生方のメッセージが並ぶ中に、「ぼくの夢、わたしの夢」というコーナーがあった。

興味にかられて一読してみると、医者、スポーツ選手、俳優、タカラジェンヌ・・・。壮大な夢たちが顔を並べている(かくいう私も、アナウンサーを夢として挙げていた)。しかし、5年経った今、この中の何人が同じ夢を追い続けているのだろうか? ふとさびしい気持ちになった。

私は今、高校2年生。「夢」を追いかけるのもいいが、そろそろ「現実」を見据えなければならない時期にさしかかっている。小6の時の夢に未だ憧れは抱いているものの、もうあの時のように「必ず叶う」との根拠のない自信はもう持てない。

あの時の自分の幼さを少し羨ましく思いつつ、しかし何か背中を押された様な気分で、少し大人になった私は文集を閉じた。

(演劇部  K.H)