金蘭千里50式

2015.04.11

金蘭千里学園50周年特設サイト

「金蘭50式」は、50周年を迎える金蘭千里中学校・高等学校の「今」をお伝えする特設サイトです。一年にわたり、様々な視点からのコンテンツを50個ずつ発信して、金蘭千里の姿を描き出します。

最新の記事

佃 秀昭さん(エゴンゼンダー株式会社 代表取締役社長、15期)

佃 秀昭1

創立50周年、大変おめでとうございます。卒業生として誇りに思います。

私が卒業したのは1982年ですから、それから随分と長い年月が経ちました。今でも時々当時を振り返ることがあります。何故なら私の人生の中で殆どの時間を占めている「職業」と「趣味」の土台を母校での6年間の教育が築いてくれたからです。

まず「職業」ですが、東京大学法学部を卒業後、当時の三和銀行(現在の三菱東京UFJ銀行)に就職し、入社4年目に企業派遣で2年間MITの経営大学院に留学しました。三和銀行には国際部門・人事部門を中心に都合13年近く勤務しましたが、金融業界を取り巻く環境が大きく変化する中で、「日本企業を変えたい」「日本を変えたい」との思いを強く持ち、1998年に転職。2000年にエゴンゼンダー社に再転職しました。

エゴンゼンダーはスイスに本社がある世界的な企業統治・経営人材コンサルティング会社です。私は、現在日本法人の代表取締役社長を務めながら、日本企業の経営者を主なクライアントとして、企業統治改革や経営人材強化のお手伝いをしています。日本企業では未だ馴染みの薄い「取締役会評価」という手法で日本企業を支援している恐らく唯一の会社です。また、日本でも最近注目されつつある「社長後継計画」のコンサルティングで他の追随を許さない地位を確立しています。新聞などで「○○社、社長を外部から招聘」という報道が増えていますが、大企業案件の大半を当社が支援しています。社内の次期社長候補者を私たちが時間をかけて評価し、適任者がいなければ外部から招聘するのです。

実は今年1月に本社の経営委員会メンバーに任命されました。大変名誉なことですが、同時に責任感とプレッシャーを感じます。私以外のメンバーはアメリカ人、イギリス人、スイス人、ドイツ人、オーストラリア人、ブラジル人、インド人、シンガポール人と国際色が大変豊かです。経営委員会は、年に何度も数日間泊まり込みで朝から深夜まで英語で議論します。当社は世界40カ国以上で事業展開していますが、中長期のグローバルな経営戦略をどうするか?日の丸を背負いながら、海外の同僚と真剣に議論する毎日です。

今までの職業人生を振り返ると、やはり「英語」が重要な役割を果たしています。今振り返っても中学・高校6年間の充実した英語教育が土台を築いてくれたと強く思います。否、英語力だけではありません。論理的に考える力、地道に努力し目標を達成しようとする力、忍耐力、相手に自分の考えを伝える力、リーダーシップなど。これらは全て徒歩訓練や20分テストも含む母校での教育を通じて基礎固めをすることができたのです。

次に「趣味」ですが、私は中学3年から高校卒業までコーラス部に所属しました。ただ、変声期にサッカーで声を張り上げすぎて声の調子が良くなかったこともあり、途中から専ら指揮者をやっていました。当時の厳しい学校生活の中でコーラス部の活動が清涼剤となりました。ご指導頂いた顧問の先生、優秀な先輩方には大変お世話になりました。大学でも音楽を続けたいと思い、学生オーケストラに入りました。そして社会人となって随分たちますが、今でも趣味でビオラを弾き続けています。

佃 秀昭2

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楽器を持っている写真はいずれも一昨年、中東のアブダビで世界的なテノール歌手のホセ・カレーラスとのコンサートでのもの。ウィーンのプロ音楽家・音楽大学生で構成するオーケストラに誘われ、滅多にないチャンスということでウィーンでのリハーサルに参加し、オーケストラの一員としてアブダビに行きました。ビオラの腕前が「?」な私が何故参加できたのかは、話が長くなるので割愛させて頂きますが、一言で言えば「人の縁」が全て。まさに、人の縁が持つ「無限の可能性」を実感した経験でした。

出会った人との縁を大事にする。何事も前向きに考える。諦めない。迷ったらとりあえずやってみる。人生は一度きりだから思う存分楽しむ。どんな経験も無駄な経験はない。世のため人のため。志を高く持つ。リーダーシップとは人を幸せにすること。人は一人では生きていけない。周囲への感謝。このような人生観を、今まで人生を歩み多くの失敗を重ねるなかで、自分の未熟さを周囲の皆さんに指摘して頂きながら徐々に築いてきました。その原型は母校での先生方、クラスメート、部活動での諸先輩・後輩の皆さんとの出会いと交わりの中で形成されたのです。

2012年秋に金蘭千里高等学校卒業30周年の同窓会が開催されました。そのとき我が胸に去来したのは「同級生に対する思いやりの気持ちを当時もっと持つべきだった。」「高校卒業後にもっと早くに同級生と邂逅すべきだった。」という後悔の念でした。一方で「何と素晴らしい仲間に恵まれていたことか!」という、この上なく幸せな気持ちにもなれました。今更後悔しても始まりません。これからの残された人生、ひたすら前向きに考え、母校の同窓会活動に積極的に参加し、また同窓会活動を積極的に支援させて頂きながら、「人の縁」を大事にしながら、微力ながらも皆様に恩返しをしたいと考えています。

最後になりますが、現役の在校生の皆さん、是非とも一度しかない金蘭千里での学生生活を謳歌してください。人生は一度きり。皆さんには無限の可能性が広がっています。

こんにちは、金蘭千里中学校・高等学校です。

毎週金曜日は、「金蘭50年」と題して、金蘭千里のこれまでの歩みをご紹介しています。

2009(平成21)年度は、創立45年めです。

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世界的に流行していた新型インフルエンザ(A型、H1N1亜型)が
2011年5月に日本国内でも確認されたため、
本校も学校閉鎖(一週間)を実施しました。
また、一部の学年のキャンプを中止しました。
(画像は、厚生労働省によるインフルエンザ予防啓発ポスターです)
2009
2008年に学則定員を変更した(1学年180名)ことで、1000人を超える学校になりました。

私がこの間の春、金蘭千里に入学した理由。それは、この学校の大きな特徴とも言える20分テストがあったからです。他の学校のような、中間・期末というテストで一気に勉強するのは、私には無理だと思いました。だからこそ、 20分テストがあり、毎日コツコツ勉強するシステムがあるこの金蘭千里を選びました。

最初はドキドキした20分テストも、もう今では慣れて、最初と比べるとあまり緊張しなくなりました。20分テストでは皆勉強し、それを発揮できるように努力します。だから私も出来る限りの力を発揮できるように努力します。だけど、私が勉強して挑む20分テストでは、納得いく結果になる時よりも、ならない時の方が多いです。たくさん勉強して挑めば挑むほど、その時の悔しさは大きいです。だから私は目標を立てました。

「自分の勉強法を見つけて、努力した分だけ、よい結果が出るようになること。」だけどそれを見つけるまでは、ただ努力するのみだと思います。

これからいろいろな経験をして、何ごとも一生懸命努力し、学校生活を充実させたいです。

(中一3  Y.K)

小川洋子『博士の愛した数式』

博士の愛した数式

この本を初めて読んだとき、とにかく感動した。そして涙が流れた。

物語に登場する「博士」は元大学教授で、交通事故のため80分で記憶が消えてしまう。いつも着ている背広のあちこちにメモ用紙を貼り付けている。メモの一つは《僕の記憶は80分しかもたない》だ。「博士」と、「博士」のところへ派遣された家政婦の「私」と、その息子で10歳の「ルート」。互いを思いやる3人の気持ちが、静かに細やかに描かれている。

数学者である「博士」が純粋に愛する、虚数、素数、完全数、友愛数、オイラーの公式などが、数学のよく分からない私にも、とても美しく感じられてくる。永遠に変わらない揺るぎないものについて思いを巡らしたり、一方で、その揺るぎない存在とは対照的な頼りなくてはかないものについて考えさせられたりもする。

映画化された作品であるが、胸に迫る切なさや温もりを、ぜひ文字だけの世界で味わってみてほしい。

【Amazon】  『博士の愛した数式』

理科教諭、科学部顧問  西口和男

フラメンコギターを始めるようになったのは、高校生の頃に小学校からの同級生のk君がフラメンコギターを習い始めていて、私の家にギターをもってきてブレリアスという曲を弾いて聞かせてくれたことからです。父親に頼んでその当時1万5000円のフラメンコギターを買ってもらいました。習いに行く時間もお金も出してもらえないので、k君から教えてもらったり、フラメンコギター教本やレコードで曲を聴きながら練習しました。

リズムやメロディーはわかるのですが、指の使い方や奏法は曲を聞いただけではわからず、この点で一番苦労しました。k君やフラメンコギター仲間のmさんなどから教えてもらいながら、何とか弾けるようになりました。

子育ての間はほとんど弾く機会がなかったけれど、曲はテープやレコードなどで聞いていました。子育てから開放されたので、また弾き始めています。

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こんにちは、PC部です。
今回は、学校生活で誰しも1回はお世話になる保健室についてご紹介したいと思います。

金蘭千里の保健室には、
笑顔で出迎えてくれる渡辺仁子先生がいらっしゃいます。
金蘭千里のオアシスこと保健室へLet’s Go!!

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宮脇崇行さん(日本ブラインドサッカー ボランティア、43期)

20141116_01(先頭を歩く旗手が宮脇さんです)

金蘭千里創立50周年おめでとうございます。学生時代を振り返ってみますと、とにかく夢も目標もなかったため真面目に勉強しておらず、先生方に迷惑ばかりかけた生徒であったと反省しております。この場を借りてお詫びしておきたいと思います。

さて私は現在、ボランティアとして「ブラインドサッカー」に携わっております。「ブラインドサッカー」とは、視覚障害者のために開発されたサッカーであり、主に全盲の人や弱視者がアイマスクをし、ボールの中に入っている鈴の音を頼りにプレーしゴールを目指します。もちろん、我々健常者もアイマスクをつけてプレーすることができるため、健常者と障害者が同じ条件で物事に取り組める「ノーマライゼーション」としても注目を集めています。

アイマスクをしているため、視界は全く見えない状態ですが、その分より周囲やプレーヤー同士のとのコミュニケーションがより重要となるため、最近ではコミュニケーション力強化のために新人研修などでブラインドサッカーを使う企業も増えてきています。

ボランティアの仕事は主に会場の設営、撤収(フットサルコートに看板を設置することでフィールドを囲み選手はそれを頼りにプレーする)、ボールボーイ(ボールが出た際にキーパーに渡す)、選手のサポート(肩を貸して誘導する、声をかけて位置を知らせる)などです。特に選手はほとんど目が見えていない状態であり、今まで当たり前だと思っていた誘導がまったく通用せず、一つ間違うと大怪我をさせてしまいそうになることもありました。また、逆に障害を持っているということで気を使いすぎ、選手が自力でやれることもこちらが手伝おうとして失礼なことをしてしまったと感じることもありました。障害の持つ方と接する際は、何が必要としていて何は必要ないかを的確にくみ取ってあげられるよう、いつも以上に積極的にコミュニケーションをとることの大切さを学びました。

先日、日本において世界選手権が行われ、私もボランティアとして参加させていただきました。(写真は開会式における私(旗手)、中国代表コーチ及び選手です)そこで感じたことは、障害者を障害を持つかわいそうな人と思い敬遠するのではなく、健常者と同じような目線で考えることの重要さです。プレーの激しさや勝利のために全力でプレーする姿は普段のサッカーのそれと何ら変わらないものであり、むしろサポートする立場であった私に勇気と感動を与えてくれるものでした。もちろん全く健常者と同じという訳にはいきませんが、健常者であるわれわれが少しサポートするだけで、同じような条件で生きがいを持って日常生活を送ることは可能であると痛感しました。

今年の4月から私は公務員になる予定であり、そこで2020年のオリンピック・パラリンピックに関わる仕事がしたいと考えております。私たちはどうしてもオリンピックのほうだけに関心が行きがちですが、パラリンピックを通して障害者スポーツを肌で感じることで、もっと障害の持つ人への理解を深めていけるような大会にしていきたいです。そして大会後も普段の日常生活において障害者に対して偏見を持つのではなく、健常者と同じように生活できるよう自発的にサポートしていけるいわゆる「心のバリアフリー」を推進していけるような社会を作っていけるよう貢献していきたいです。

こんにちは、金蘭千里中学校・高等学校です。

毎週金曜日は、「金蘭50年」と題して、金蘭千里のこれまでの歩みをご紹介しています。

2008(平成20)年度は、創立44年めです。

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学則の変更が認可されたことで、法的にも併設型中高一貫校となり、
カリキュラムにより柔軟性をもたせることができるようになりました。
また,一学年の学則定員が30人増加し、180人(6学級)になりました。
(画像は、学校だより第74号です)

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食堂の東側で桜並木の手前にある芝生に、家庭科教室を設置しました。

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学校教育法などの改正を受けて、教職員による学校自己評価を始めました。
(現在は、教職員だけでなく、生徒や保護者の皆様による学校評価も行っています。
また、質問の内容も毎年改善されています。
本年度の分は、pdf形式でこちら(教職員生徒・保護者)からご覧いただけます)

私は学校のキャンプを通して学んだことがあります。それは「協力することの大切さ」です。「協力することの大切さ」を感じた2つの事がありました。

一つ目は、「テント張り」です。協力せずにバラバラだった班はいつまでたっても作業が終わらず時間がかかっていました。力を合わせ協力していた班はすぐにテントが出来上がり余った時間を自由に楽しく過ごしていました。

二つ目は、集合の合図がかかり戻ってきた時に、生ごみの袋がカラスに破かれてゴミが散乱していた時のことです。戻ってきたみんなが散乱したゴミの横を素通りしていることに少し悲しい気持ちになりました。でも、私の班のみんなは協力して散乱したゴミを片付けました。班のみんなが嫌がらずにやっていたことを、とても嬉しく思いました。そして掃除の時の事です。この時にも汚い仕事が残っていて、私はまたかと悲しい気持ちになりました。結局、掃除は予定時間より遅れてしまい先生から叱られることになってしまいました。

このような出来事から、私は「協力する事の大切さ」を学びました。みんなの協力がなければ悲しくなったり嫌な気持ちになったりするけれど、逆に、そのような協力があれば、嬉しくなったり、きついことや汚いことでもやれる気持ちになったりします。だから、「協力すること」はとても大事なことだなと思います。これを普段の学校生活の中でも活かしていきたいと思います。

(中一2  H.K)

田辺聖子『春情蛸の足』(堀友信)

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人に本を薦めるのは難しい。本との出会いはそもそも縁であるし、啓蒙・教化の匂いを少しでも感じたら相手はそっぽを向く。

それでも現代文のセンセーとして、中高生に是非読んでほしい「良書」を思いつくまま挙げるなら、福岡伸一『生物と無生物の間』、藤原正彦『若き数学者のアメリカ』、諏訪内晶子『ヴァイオリンと翔る』となる。いずれも掛け値なしに面白く、多くを読者に与えてくれる(本校図書室にあり)。しかし只でさえ教えたがりなセンセーが生徒に「教えたい」本は他にも沢山ある訳で、良書を一冊というのは土台無理な話である。

そこでテーマを少し変えて話を続けたい。無人島に一冊だけ本を持って行けるとしたら何を選ぶか。純粋に自分のためだけを考えるなら迷わず本書である。「大阪」をいつでもどこでも再現してくれる空気缶のような本作は、島での孤独な生活を慰め、まぁ何とかなるヮ、と生きる活力を与えてくれるだろう。

田辺聖子の描く大阪弁は、素性のよい酒のごとく喉に引っかからない。黒岩重吾や宮本輝や西加奈子とも違う、まろやかで柔らかいその大阪弁の根っこには、船場言葉の流れを組んだ上方落語の影響があるのかもしれない。(先日、半ドンだったので繁昌亭に足を運んだ。博打でひと儲けたくらむ者、家業そっちのけで芝居小屋に出入りする若旦那などなど、どうしようもないが憎めない男たちが登場する。上方落語の関西弁が耳に心地よく、ほんまアホやなぁとケタケタ笑いが客席に広がる。それにしても平日昼席の混み具合ったら!いびきかいてるじいさん、咳き込んで何度も席外すばあさん、スーパーの袋をガサガサさせて菓子ほおばるおばはん、みんなユルイ。噺家もそんな客を適当にイジるから、寄席の空気がええ塩梅に温まって堅苦しくない)

八つの短編からなる本作には、おでん、うどん、お好み焼きなど大阪庶民の味が登場する。それらに舌鼓を打つのは、人生の酸いも甘いも多少噛み分けてきたおっさんたちである。独身者、既婚者、離婚者などなど、各短編の主人公は、昼休みの立ち食いうどんや、仕事帰りのおでんに小さな幸せを感じ、それらの味にささやかなこだわりを持っている。思うような店と出会い馴染みになっていく内、ふとしたことで女性と再会したりお近づきになったり、ほろ酔いの情がゆるやかに絡んでいくのだが、人生はそんな思い描いたようにはならない。足りたと思たら、別のところが欠ける。そんな「ただごと小説」(田辺)が織りなす人生模様は、明日自分の身にも起こりそうな実感を伴う。そしてエグイ結末がひとつもない代わりに、どの男たちも情けなくカッコがつかないんである。おいしいもん食ぅて、ほろ酔い気分になって、ほんのちょっとイタい目に遭う彼らは、大それたことを考えている訳でも、大きな賭けに出る訳でもない。小さなシアワセを大切に守りながら、擦り傷をこしらえる「同僚」が愛おしく、ナンデこないに男の気持ちが田辺さん分かりはるんやろ、とただただ不思議な気持ちになる。

文字が並んでるだけなのに読了後「ごちそうさんでした!」と言いたくなるほど、出てくる料理がどれもおいしそうで、何度もつばを飲み込む。舌も心も蕩けてえも言われぬ幸福感が身を包む。

こんな贅沢な本、大人になるまで読んではいけませン。

【Amazon】  『春情蛸の足』