金蘭千里50式

2015.04.11

金蘭千里学園50周年特設サイト

「金蘭50式」は、50周年を迎える金蘭千里中学校・高等学校の「今」をお伝えする特設サイトです。一年にわたり、様々な視点からのコンテンツを50個ずつ発信して、金蘭千里の姿を描き出します。

最新の記事

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こんにちは、金蘭千里中学校・高等学校です。

毎週金曜日は、「金蘭50年」と題して、金蘭千里のこれまでの歩みをご紹介しています。

1984(昭和59)年度は、創立20年めです。

最上階4階ベランダからの景色です。

創立20周年の祝賀会が挙行され(1985年1月)、
記念写真集、文鎮、芳友会会員名簿が作成されました。
(封筒は森靖司先生(16期)の、文鎮は宇野校長のデザインによるものです)

20周年記念号の表紙は、敷地全景を写した航空写真です。

夏期休業中に普通教室の改修工事が行われ、
教室後部にあった生徒用ロッカーは、右画像のようなスチールロッカーになりました。
またロッカーの上部には、新たに黒板も設置されました。
教室の扉も、それまでの木製から、スチール製のものに変更されました。


高校からの募集を停止し、中学・高校の生徒数がほぼ同数になりました。

少林寺拳法は、宗道臣が戦後の肉体・精神ともに弱った日本人の姿を見て、自信と勇気、それに行動力を持った若者を育てるためにつくった武道である。

僕は小学1年のときに少林寺拳法を兄の影響で習い始めた。その頃はただ身体的に強くなりたい、その思いだけで修行をしていた。それが本当の強さだと思っていた。

最近になり、本当の強さとは何かを考え始めた。困っている人を迷わず助けに行き、そして助けられるということだろうか。正しいことは正しいと言えることだろうか。本当の強さを得るためには何をしたら良いのだろうか。

よくわからないが、今僕が出来ることは、目の前のことを少しずつ実践していくことだろう。

僕ははっきり言って、未知のことが苦手である。しかし、答えがあるかどうかわからないことでも、これから挑戦していきたい。

高二3  H.T

 

宮本輝『二十歳の火影』    (谷本祐子)

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この本は、1980年に出版された著者の第一エッセイ集である。幼い日のこと、青春時代、そして作家として歩み始めた頃のことが、叙情豊かに綴られている。中でも、著者の人間形成に大きな役割を果たした父の存在が印象に残る。

この本の出版から二年後、著者34歳の時から、父をモデルにした長編<流転の海>シリーズは書き始められる。それから三十年以上の時を経て、シリーズ第七部『満月の道』が先頃上梓された。 九部で完結する著者のライフワーク<流転の海>の原点が、このエッセイ集である。

ストーリーの巧みさ、瑞々しい感性、宮本作品の魅力は、一言では語れないが、何といっても最大の魅力は、「前向きに生きよう」という力をどの作品からも与えられることだと思う。それを裏付けるこんな文章がある。

「文学にとって、最も重要なテーマとは何でしょうか?」
そのとき、会場全体がいやにしんとしてしまったような気がして、私はいささかうろたえながら答えた。
「人間にとって、しあわせとは何か、ということではないでしょうか」

質問する側も、答える側も、いまさら何だという恥かしさがあったわけだが、そうした思いは、「文学のテーマは、人間にとってしあわせとは何か」ということであると言ってしまった私の方に、いっそう強くせりあがって来たのだった。作家として、沽券にかかわるような幼稚な答えをしてしまったのではないかと思えて、私はもう一度、文学のテーマについて考えをめぐらせてみた。だが、やはり私はそれ以外の答えは思い浮かばないのだった。私は照れ笑いしながら、
「でも、それは私の考えで、人によってそれぞれでしょうが・・・・・・」
とつけたした。せっかく雨の夜に集まって来て、青二才の話を聴いてくれている人たちを、ひょうし抜けさせてしまったようで、私は落ち着かなくなり、早く持ち時間が終ってくれないものかと時計ばかり見ていた。

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国語科教諭、バスケットボール部顧問  岸本 知紀

「大人の愉しみ」

大学入学後、塾で講師のアルバイトをしました。学生が中心となっている、体育会系の部活のような職場でした。先輩方に面倒を見てもらいました、仕事以外にも。

その中で、四半世紀近くたつ今も自分に大きな影響を残していることがあります。それは「お酒を愉しむ」ということ。幸いなことに自分の体はアルコールを受け入れることが出来たので、先輩から毎週日本酒のレクチャーを受けていました。大学院進学、結婚、就職。自分を取り巻く環境は大きく変化していき、それに伴い愉しむようになったのも日本酒だけではなく、焼酎・ウイスキーなどと広がって行きました。

大人と子供の区別が曖昧だと感じることの多い現代。そんな時代だからこそ、今後も「大人の愉しみ」を大切にしたいと思います。

中野有希子さん(西山動物病院 獣医師、41期)

 

この度は、創立50周年おめでとうございます。
わが母校が半世紀という歴史を積み重ねてこられたことに、卒業生の一人として大変嬉しく思っております。

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私はこの春、北海道の酪農学園大学獣医学部獣医学科を卒業し、獣医師として新潟市の動物病院で犬や猫の診療に携わっています。

私の卒業した大学では、4年の後期から研究室に所属し、各研究室での活動に専念します。私が所属したのは大学付属動物病院の画像診断科で、主にCTやMRIなどの高度画像診断機器を用いて、脳や脊髄などの神経の病気や、肝臓や皮膚などにできる「がん」の診断をしていました。

現在働いている病院は、CTやMRIなどの高度な画像診断機器はありません。いわゆる、「町の獣医さん」です。大学病院には、そんな町の獣医さんでは検査や治療の難しいような病気にかかったワンちゃんやネコちゃんが来ていました。しかし今勤めている病院では、ワクチンやフィラリアの予防など、健康に過ごしているワンちゃんやネコちゃんが来ることも少なくありません。

ところでみなさん、ワンちゃんやネコちゃんを飼ったことはあるでしょうか。特に、ワンちゃんを飼ったことがある人は、少なからず「無駄吠え」や「噛み癖」「家具を齧る」などの困った癖に悩んだ経験を持つ人が少なくないと思います。そんな、飼い主を悩ますワンちゃんたちの行動を「問題行動」と呼びます。吠えることや噛むことは、犬にとって本能的、生理的に正常な行動です。しかし、そんな正常な行動が飼い主を悩ます「問題行動」であることは少なくありません。そんな問題行動は身体的には健康なワンちゃんに起こることが多く、健康であるがゆえに毎日のお留守番で退屈し有り余る体力とストレスのはけ口として吠えたり、噛んだり、自分なりの「仕事」を見つけてしまっていることが多いのです。ワクチンなどで病院に訪れた飼い主さんの中には、そのような「問題行動」についてしつけの相談を持ちかけてくる人が多いと思いました。

そこで私は、そんな問題行動の原因を探り、治療したり予防したりする「動物行動学」や「行動治療」の分野に最も興味を持って勉強し始めました。一度問題行動として定着したものをやめさせることは難しいですが、子犬の頃から飼い主にとって「望ましい行動」と「やってはいけない行動」を教えていくことで飼い主と犬との絆を深め、問題行動の発現を予防することもとても大事なことです。

飼い主さんの立場になって問題行動に向き合っていくため、現在、病院内でドッグトレーナーの先生を呼んで病院内で実施しているパピークラスに参加し、愛犬「こだま」と犬のしつけ方を学んでいます。ここで学んだことは、実際に診察中持ちかけられるしつけ相談に生かされることも多く、パピークラスとこだまは、成書での勉強と並んで私にとって重要な教材のひとつとなっています。

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獣医さんといえば、体の病気を治すイメージが強いと思いますが、問題行動治療は飼い主と犬との関係性の治療だと思います。中には、人の発達障害のように、薬での治療も必要な場合もありますが、飼い主が犬と向き合い、根気よく治療を続けることで改善できる問題行動もとても多いと思っています。まだまだ勉強は始めたばかりでわからないこともたくさんありますが、いつかそんな問題行動を改善する手助けが出来るよう、今後も勉強を続けていきたいと思っています。

小さい頃から獣医さんになるのが夢で、小学生から獣医師を目指して頑張ってきました。もちろんこれまでにも何度か挫折しそうになったこともありますが、両親や金蘭千里の先生方など私を全力でサポートしてくれた方々のおかげで夢を叶えることができました。獣医師として働き始めてからもう5ヶ月経ちます。どの仕事もそうですが、決して楽しいこと嬉しいことばかりではありません。しかし、本当に諦めずにかなえた夢であれば、どれだけ辛いことがあっても前向きに頑張れるものだと、今、とても実感しています。夢を叶えた先には、また新しい目標が見えてきます。みなさんも、今もっている夢を決して諦めることなく、努力を続けてください。きっと明るい未来が待っています!

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こんにちは、金蘭千里中学校・高等学校です。 毎週金曜日は、「金蘭50年」と題して、金蘭千里のこれまでの歩みをご紹介しています。 1983(昭和58)年度は、創立19年めです。

上村義一先生(第3代、1980年4月~1983年6月.画像左)がご逝去されたため、
宇野正男先生(第4代、1983年6月~1996年3月.画像右)が学校長になられました。
上村義一先生の学校葬(1983年7月)

グラウンドに立つ時計塔(画像左)は、上村先生の寄贈によるものです。 また、図書館内に上村文庫が設けられました(画像右)。

ニュージーランド・シャーリー校とのサッカー親善試合(1983年5月)

夏季高野山合宿(1983年夏より86年夏まで4年間)

ヴェラゴーダ女史(スリランカ)による家庭科講義(高一女子対象、1983年9月)

緑地公園での緑化フェア(皇太子殿下ご夫妻ご視察)に中二生参加(1983年10月)

スクールバスが、1984年3月に廃止されました。

私は今年ミャンマー・スタディー・ツアーに参加します。

ミャンマースタディーツアーとは大阪のガールスカウト(以下ガール)が主催しているミャンマーの民主化促進のためのプロジェクトです。現地で孤児院の子供達に歯科検診をしたり、一緒の時間を過ごすというものです。

ことの始まりは、私が小学生高学年の時、習い事だったガールで「ミャンマースタディーツアー」に行った方からお話を聞いたことでした。
内容は、ミャンマーの孤児院に訪問するなどといったもので当時の私にはとても刺激的なお話でした。
私は当時子供心に行ってみたいな、と思いました。

けれど、この夢を持ちつつも実現するのは想像以上にきついものでした。

金蘭千里に入学して、土曜日も学校があったので宿泊研修などは常に途中参加で、友達を作ることに大変苦労しました。

ガールを続けるのが嫌になり何度も止めようとも思いましたが、まだ行けると自分に言い聞かせ続けてきました。

ミャンマースタディーツアーの面接や筆記試験は予想以上に難関でしたが、結果として嫌々ながらも参加していた研修に助けられたという思いが多々にあります。

支えてくれた周りの方達や、同期からも沢山の応援の言葉をいただきました。
一緒に行く同じ志をもったメンバーとも仲間意識が生まれています。

長年憧れていて必死に勝ち取ったこのチャンスを決して無駄にはせず、実りのある研修にしたいです。

高二2  N.Y

黒川博行『破門』  (竹尾真)

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今年の151回直木賞(今年度上半期)は、黒川博行の『破門』が6度目の挑戦で選考された。黒川氏は愛媛県出身で、京都市立芸術大学を卒業後、一般企業を経て大阪府立高校在職中、『二度のお別れ』で第1回サントリーミステリ大賞の佳作に選ばれ、その後『キャッツアイころがった』で第4回大賞を受賞した。

黒川氏の作品は、大阪府警シリーズ(『二度のお別れ』etc.)や疫病神シリーズ(今回紹介している『破門』etc.)、エッセイ(『よめはんの人類学』etc.)など幅広いジャンルで、どれも大阪を舞台にしている。また登場人物たちの大阪弁の軽妙なやり取りが非常に面白く、大阪近郊に住んでいる者には親しみが持てる。

実は、私は氏と同じ府立高校に非常勤講師として2年間お世話になった。そこで氏と様々なことをして過ごした。生物部の合宿でウニの発生の様子を徹夜で観察したり、美術部の合宿でスケッチの合間に生徒達とスイカ割りや卓球などをして遊んだ楽しい思い出もある。自分の親しくしている知人が直木賞受賞というとんでもないことをしたという驚きのあまり、今これを書いている。

最後になったが『海の稜線』を一読することを薦める。その理由は・・・読んでのお楽しみ。

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英語科教諭・剣道部顧問  田中 秀三


メンター 清水加津造先生
「英単語ピーナッツほどおいしいものはない」(P単)

30期生が高校1年生の時、自習用英単語集として、「英単語ピーナッツほどおいしいものはない」(P単)を採用したのは、他のメジャーな単語集に違和感があり、手作り感・人間味を求めていたからかもしれない。

P単はシンプルな構成と著者の清水加津造氏の強烈な個性が特徴。金メダル・銀メダル・銅メダルの3つのコースからできていて、30期生には入門的な銅メダルをやってもらうことにした。

例えば銀メダルコースの『言語』のジャンルでは、1ページに「語学の才能」「聞き取り能力」「英語で会話する」…「文法や語法」といった10個のフレーズがあり、”linguistic talent”, “listening comprehension”, “converse in English”… “grammar and usage” というふうに対応する英語表現が学習できるようになっている。
今はこのタイプの単語集も多くあるが、当時はかなり珍しいものだった。しかもすべて清水加津造氏ひとりが心血を注いで作ったものであり、実用に富んだものである。そのため現在再評価され、新しい衣をまとって書店に並んでいる。

P単のもう一つの特徴は、清水加津造氏の鋭い舌鋒である。他の有名どころの単語集を切って捨てる痛快さが魅力であった。私自身受験の時には「試験に出る英単語」に随分お世話になったものだが、それも「1単語1訳語」というやりかたの誤りを指摘してみせる。

かつぞー先生からの書簡

そんな清水加津造氏に興味をもっていると、大阪で初めてのP単採用校ということで著者から手紙をもらった。それに対して、P単の構成を分析して返事を書くところから文通が始まった。
今手元に残っているのは葉書が9通、手紙が20通、1994年の夏に始まり、1998年の秋に終わっている。内容は英語学習とパソコンの操作のことに終始している。(Windowsブームと重なる)それ以外の家族の話とか趣味の話とかはほとんどない。互いに相手の生活に入り込むことを避けていたのかもしれない。というよりは、英語を究めること英語教育を改善することに没頭するタイプの方で、そのためならいくら心血を注いでも構わない、という心構えだったので、それ以外の事を話題にすることが思い浮かばなかったのであろう。

実は加津造先生は(ここからは先生です)、「同時通訳の神様」と言われた國弘正雄氏のお弟子さんの一人である。それを知ってから遅まきながら國弘正雄氏の事を調べて、実は凄いお弟子さんと文通をさせてもらっていた、ということに後で気がついた。
加津造先生から学んだのは、英語学習あるいは英語教育への情熱、とりわけ音読の大切さである。いまだに音読の重要性を理論的に説明できないが、まず英語では音読が出来なければならず、繰り返し音読することの意義は、私のメンター(= 加津造先生)に教えられた。

「(この夏は)小さな予備校の方で、企画から教材まで全部自分の自由にやって楽しむつもりです。なんと講師料も予備校側と交渉して歩合制です。長文は『ケネディ就任演説』を取り上げる予定です。理由としては、最近ベストセラーなった『超勉強法』の一節です。なんと教科書2ページ位なら20回も読めば暗記できると、書いてあるではありませんか。それに本文のいたるところで文法的な分析を否定し、肯定的に書いてあるのは3行だけ、それも反論かわしが見え見えです。國弘先生はそんな与太は言いませんでした。『意味も文の構造もある程度わかるものを何百回も音読せよ』。私の経験ではこれが真実です。そこで、今年の夏は『超勉強法』の悪口をたくさん言い、合わせて私流にケネディ演説を解説しようと思っているのです。…」(1996.7.8.)

「2)単語集の機能的学習方法について:私自身は単語の大半をこの帰納的な方法で身につけてきました。初歩の間は教科書を何回も繰り返しましたし、一通り文法をマスターしてからは、ともかく何回も読めるような原書を選び、実際に何回も読みました。ただし、ここ10年ほどは読むのは新聞雑誌ばかりで、厚い原書はあまり読んでないのです。
新聞雑誌を読んでいて、気になる単語は記事を切り抜いて、直接カードに貼り付けてABC順に箱に入れておきます。意味は一応辞書で調べ、メモ程度に書き込んでありますが、既にカードを作った記憶があるものは辞書に改めて当たることはしません。この方法を15年以上続けておりますが、もとはと言えば、國弘先生のカードサイズは葉書大ですが、私のものは図書館カードサイズです。また國弘先生のカードによる例文収集は単語を覚えるためというより、語法や文化的な背景のための資料作りが主な目的です。私もいろんな目的で(語法、和英、連語etc)カードを作っていますが、今回は単語力増強に限りましょう。…」(1996.3.12.)

1998年10月22日付の手紙をもって、加津造先生からの書簡は絶えた。
しばらくして奥様から病気で他界された旨の葉書をいただいた。頼るべき肩(a shoulder to lean on)を失くした喪失感に、気持ちの整理がつかなかった。
その後自分自身の英語に関する進歩が止まっている。いつも加津造先生の後を歩もうとして意気地なく挫折を繰り返している。加津造先生が亡くなられた年齢を随分超えた今になっても。
「こんな時かつぞー先生なら…」とばかり考えてきた。強烈な個性を目の前にして眩い光の後を追うことしか考えてこなかった。でも、そろそろそこから卒業しなければいけないのかもしれない。