田辺聖子『春情蛸の足』(堀友信)
人に本を薦めるのは難しい。本との出会いはそもそも縁であるし、啓蒙・教化の匂いを少しでも感じたら相手はそっぽを向く。
それでも現代文のセンセーとして、中高生に是非読んでほしい「良書」を思いつくまま挙げるなら、福岡伸一『生物と無生物の間』、藤原正彦『若き数学者のアメリカ』、諏訪内晶子『ヴァイオリンと翔る』となる。いずれも掛け値なしに面白く、多くを読者に与えてくれる(本校図書室にあり)。しかし只でさえ教えたがりなセンセーが生徒に「教えたい」本は他にも沢山ある訳で、良書を一冊というのは土台無理な話である。
そこでテーマを少し変えて話を続けたい。無人島に一冊だけ本を持って行けるとしたら何を選ぶか。純粋に自分のためだけを考えるなら迷わず本書である。「大阪」をいつでもどこでも再現してくれる空気缶のような本作は、島での孤独な生活を慰め、まぁ何とかなるヮ、と生きる活力を与えてくれるだろう。
田辺聖子の描く大阪弁は、素性のよい酒のごとく喉に引っかからない。黒岩重吾や宮本輝や西加奈子とも違う、まろやかで柔らかいその大阪弁の根っこには、船場言葉の流れを組んだ上方落語の影響があるのかもしれない。(先日、半ドンだったので繁昌亭に足を運んだ。博打でひと儲けたくらむ者、家業そっちのけで芝居小屋に出入りする若旦那などなど、どうしようもないが憎めない男たちが登場する。上方落語の関西弁が耳に心地よく、ほんまアホやなぁとケタケタ笑いが客席に広がる。それにしても平日昼席の混み具合ったら!いびきかいてるじいさん、咳き込んで何度も席外すばあさん、スーパーの袋をガサガサさせて菓子ほおばるおばはん、みんなユルイ。噺家もそんな客を適当にイジるから、寄席の空気がええ塩梅に温まって堅苦しくない)
八つの短編からなる本作には、おでん、うどん、お好み焼きなど大阪庶民の味が登場する。それらに舌鼓を打つのは、人生の酸いも甘いも多少噛み分けてきたおっさんたちである。独身者、既婚者、離婚者などなど、各短編の主人公は、昼休みの立ち食いうどんや、仕事帰りのおでんに小さな幸せを感じ、それらの味にささやかなこだわりを持っている。思うような店と出会い馴染みになっていく内、ふとしたことで女性と再会したりお近づきになったり、ほろ酔いの情がゆるやかに絡んでいくのだが、人生はそんな思い描いたようにはならない。足りたと思たら、別のところが欠ける。そんな「ただごと小説」(田辺)が織りなす人生模様は、明日自分の身にも起こりそうな実感を伴う。そしてエグイ結末がひとつもない代わりに、どの男たちも情けなくカッコがつかないんである。おいしいもん食ぅて、ほろ酔い気分になって、ほんのちょっとイタい目に遭う彼らは、大それたことを考えている訳でも、大きな賭けに出る訳でもない。小さなシアワセを大切に守りながら、擦り傷をこしらえる「同僚」が愛おしく、ナンデこないに男の気持ちが田辺さん分かりはるんやろ、とただただ不思議な気持ちになる。
文字が並んでるだけなのに読了後「ごちそうさんでした!」と言いたくなるほど、出てくる料理がどれもおいしそうで、何度もつばを飲み込む。舌も心も蕩けてえも言われぬ幸福感が身を包む。
こんな贅沢な本、大人になるまで読んではいけませン。
【Amazon】 『春情蛸の足』