金蘭千里50式

2015.04.11

金蘭千里学園50周年特設サイト

「金蘭50式」は、50周年を迎える金蘭千里中学校・高等学校の「今」をお伝えする特設サイトです。一年にわたり、様々な視点からのコンテンツを50個ずつ発信して、金蘭千里の姿を描き出します。

最新の記事

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こんにちは!PC部です。
今回の50景では、
中学1年生 ~ 高校2年生の各学年がいってきた校外学習のようすについて、
一挙にまとめてご紹介します!

○2014年 校外学習 一覧
中学1年生 神戸人と防災博物館・県立美術館
中学2年生 繁昌亭、海遊館
中学3年生 京都の南座と円山公園
高校1年生 京都カラスマ大学
高校2年生 神戸市立須磨海浜水族園

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林家染雀さん(19期、落語家)

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(編者注 : 「宿屋仇」の稽古をしておられる様子をご提供いただきました。
左端の ▷ を押していただくとお聞きいただけます。
大きな音が出る可能性もありますので、
あらかじめ音量にご注意いただきお楽しみください)

50周年、本当におめでとうございます。私たちが在学中に、20周年の記念式典があったことを記憶していますので、あれからもう30年も経ったのかと思うと感慨深いものがあります。

私は金蘭千里卒業後、大学に進学して、その後、落語家という道を選びました。
思えば、通学時によく本を読んでいたのがこの世界に入るきっかけでした。

もちろん、皆さんと同じく、朝は20分テストの勉強に必死でしたが、帰りは友達とも三々五々別れて一人になる時間があったので、その間を利用して色々な本を読みました。

ゲームやパソコンが普及していなかった当時ですので、読書が趣味の友人も多く、もうシェークスピアは読んだか、トーマスマンは面白かった、夏目漱石は…なんて言うものですから私も、訳も分からないまま、みんなと乱読競争をしていました。

夏目漱石やシェークスピアは難しかったのですが、落語はすごく面白くて、すぐに実演が見たくなり、新聞の応募欄にあった、落語会の招待券をゲットして、見に行くとこれがまた面白く、夢中で通ううちに、師匠となる、林家染丸(当時は染二と名乗っておりましたが)の舞台を見て衝撃を受け、噺家になることを決意したのです。

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大学にも行ってみたかったので、受験勉強は相変わらず続け、大学卒業と共に師匠のもとへ志願に行きました。少し入門は遅くなりましたが、大学で学ぶことを選択したのは、間違いではなかったと思っています。

以来20数年が経ちました。

落語家の仕事は、皆さんが思っているより、遥かに多くあります。
身に付けなければならないことも沢山ありますが、やはり、メインの仕事は落語を覚えて、舞台で演じることです。

我々が新しい落語を覚えるときは、ほとんどの場合、その噺を得意にしている師匠や先輩にお稽古をしてもらいます。一番きっちりしたやり方は、お互い着物を着て、向かい合って座り、一言一句、イントネーションまで、口移しで習います。教えてくださる方は、一つの噺を短く区切り、同じことを三回演じてくれます。それを全身を耳にして、必死に聞いて覚えるのです。ちゃんと演じられるようになったら、次の部分へと、何日も掛けて教えて下さいます。
家に帰ったら、覚えたことを思い出して台本にします。
全て滞りなく演じられようになったら、舞台にかけることが許されます。

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ここからは自分の稽古になります。
最初は教わったまま演じますが、そのうち少しずつ自分の味というか、工夫を加えていかなければなりません。味といっても大幅にセリフを変えるのではなく、間(ま)や言い回しを少しだけ、自分に合ったやり方に替えるのです。そのやり方が面白ければ、また次代の人が、私のやり方を取り入れてくれます。こうして演者というフィルターを通して、古典落語は少しずつ進化していくのです。

では、どうすればオリジナリティーが出るのか、それは机の前に座って考え込んでも、なかなか思いつきません。ただ、ひたすら稽古をします。我々は「ネタを繰る」と呼んでおりますが、何度も反復して同じことをやります。すると、不思議なことに自然と、自分らしい工夫が見えてくるのです。

さて、皆さんも、これと同じことだと思います。今、やらなければならない事を、淡々とこなしているうちに、次にやるべきことがおのずと見えてくるはずです。

淡々と反復する事は面白みも少なく、辛いものですが、これは次のステージに登る一番の近道だと思うのです。

次代を担う皆さんに、エールを送ります。どうぞ頑張ってください。

sendaihagi鹿芝居(はな「しか」芝居のこと)で先代萩の政岡を演じているところ

こんにちは、金蘭千里中学校・高等学校です。

毎週金曜日は、「金蘭50年」と題して、金蘭千里のこれまでの歩みをご紹介しています。

1997(平成9)年度は、創立33年めです。

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外国人講師による英会話の授業が導入されました。

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1986年に来校してくださった英国近衛軍楽隊に再び来校いただき、
パレードと演奏を披露していただきました。

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1998年1月の中学入試から、受験機会が増え、
それまでの1回から、前後期の2回になりました。

(なお、2015年1月入試より、前後期それぞれを
午前A(国算理社のアラカルト),午後B(国算)とし、
受験機会を計4回に増やしています。
詳しくは、中入ページ改革ページをご覧ください。)

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創立以来使用してきた「父母の会」の名称を「保護者会」に改めました。
(画像は、学校だより第51号からの引用です)

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合格実績の安定は、金蘭千里が進学校たることの証左です。

茶道部は活動が始まってもうすぐ三ヶ月になります。日はまだ浅いですが、茶道について学べば学ぶほど、その奥深さに驚かされます。

茶道の作法を学ぶと、動作の一つ一つが美しいだけでなく、そこに相手への思いやりの心が表れていることに気がつきます。おもてなしをする人だけでなく、おもてなしを受ける人にも作法があり、その時も相手への敬意の気持ちを決して忘れません。

思いやりの心は茶道だけでなく我々の社会でもとても大切です。意外と疎かにしがちな相手へのちょっとした心遣いで、社会の見方が変わるかもしれません。私は茶道を高校時代の思い出だけにとどめることなく、将来にいかしていきたいと思います。

(高二  T.S)

一志治夫  『たったひとりのワールドカップ―三浦知良、1700日の闘い』

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言わずと知れた、キングカズこと三浦知良選手のドーハの悲劇からW杯代表落ちなど様々なサッカー人生について書かれた本だ。現在、47歳でJ2のプロサッカーチーム横浜FCに所属している現役選手でもある。

私が中学生の時、W杯アメリカ大会最終予選でのドーハの悲劇はあった。当時、夜1人で試合を見ていた。一瞬の出来事で何が起きたのか把握することができないままテレビの先で選手たちが泣いている姿を見て、私も気付けば泣いていた。

大学時代、三浦選手が兵庫県にあるヴィッセル神戸に所属していた時代に練習試合に行ったことがある。三浦選手が誰よりも早くクラブハウスに入り、トレーニングルームで筋力トレーニングやストレッチを入念にしている姿を今でも覚えている。そして、同じピッチでプレーしてプロフェッショナルとは何か、三浦選手の姿を見て感じることができた。試合後、三浦選手がフェラーリで颯爽とクラブハウスを出て行ったことも覚えている。日本サッカーの歴史から切り離せない人物でありその時代を生きてきた人だ。

【Amazon】  『たったひとりのワールドカップ』

お江戸日本橋七つ立ち 初上り
行列揃えて アレワイサノサ
(民謡「お江戸日本橋」)

郷愁を誘う。
京都・三条大橋から江戸・日本橋へ向けて歩き始めた。今年三月、旧東海道。ひと月に10~20km程度。三年は掛かる。
逢坂山の手前で休む。ここはもう大津という。名物の餅を頬張る。適度な疲労が快い。
半年後、鈴鹿峠を越えた。
去年のことである。腹痛が気になり検査。引っ掛かる。患部を切除。命拾い。けど、これで安心というわけではない。漢方はどう、と妻。前向き。感謝。歩くか。家の周り。飽き足らず、ウオーキングコース、そして「お江戸日本橋」である。気取って「Walk Back to the Future」。
ともあれ、歩く、歩く、ただ歩く。

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こんにちは!PC部です。
先週に引き続き、
今週も我らが金蘭千里中学校・高等学校の校長 辻本先生に関するようすをお伝えいたします。

なんと金蘭千里では、各クラスの学級委員であるクラス委員と校長先生が一緒にお昼ご飯を食べるクラス委員 会食というイベントがあります。
これはサマーコース中の午前中授業の際に行われています。
今回は、このクラス委員 会食についてのようすをお送りしたいと思います。

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飯間郁容さん
(フラメンコ舞踊家・振付師、ペーニャ・フラメンカTAKARAZUKA代表   15期)

2014年11月1日(2014年11月1日 宝塚音楽回廊)

まずは、母校創立50周年の記念すべき節目に寄稿させていただける名誉に感謝いたします。

そして、伝統を守りながら時代と共に進化し続ける母校の現在・過去・未来に敬意を表します。

私の仕事は、踊りを通して人々の心を元気にすることです。
元気とは私達が生まれた時に元々持っていたパワーのことです。人は踊ることで本来の自分自身を取り戻すことができます。

幼少の頃より踊り全般を学びましたが、現在専門としているのはフラメンコです。
フラメンコとは、スペイン南部アンダルシアの大地で育まれた伝統芸能で、2010年にはユネスコの世界無形文化遺産に登録されました。伝統的なフラメンコのスタイルは、情熱的で躍動感あふれるバイレ(踊り)、哀愁漂ようギター、そして魂の叫びとも云えるカンテ(歌)の三位一体で構成されます。
そして、フラメンコが表現するものは人間の感情ですので、分かり易くどなたでも楽しんでいただけます。

ソリオミッドサマーライブ(ソリオミッドサマーライブ「スペインの風」)

主な活動としては、国内外でのコンサート、イベント企画・出演、ホテルディナーショーなどの公演活動に加え、宝塚でフラメンコスタジオを主宰し教授活動も行っております。さらに、広く一般の方々にフラメンコを鑑賞していただけるタブラオ(フラメンコライブハウス)の営業も今秋から開始しました。また、舞踊団を結成し、地元のイベントにも積極的に参加させていただいております。

昨年スタジオ開設15周年を迎え、スペインからゲストを招聘して様々な記念行事を開催致しました。

劇場公演(劇場公演)

ホテルディナーショー (ホテルディナーショー)

私がどのような経緯でフラメンコと出会い、なぜフラメンコダンサーの道を選んだのか? とよく尋ねられます。

高校生の頃の私は薬剤師を目指して受験しました。しかし薬科大学には入学せず、両親が勧めてくれた奈良女子大学で物理学を専攻しました。卒業後日立製作所に就職しコンピューターの顧客教育に10年間従事しました。日立では様々な経験を通して本当に多くのことを学ばせていただき、充実した日々を過ごしておりました。もちろん定年まで働くつもりでおりました。しかし、職場近くにできたフラメンコ教室に週1回通い始めて5年、気が付けばスペインへ留学しフラメンコのプロを目指していました。。。。
思えば子どもの頃、歌や踊りが大好きだった私は、自宅に友達をたくさん招待してコンサートの真似事をして遊んでいました。
かなり遠回りをしましたが、子どもの頃の夢がやっとかなったのかも知れません。すべてが必要な経験だったのでしょう。

在校生の皆さんの中には、将来の目標がすでに明確になっている方と、まだやりたいことに出会っていないため進むべき道を迷っている方とがいらっしゃると思います。私の生き方が何かの参考になれば嬉しいです。
それは、「縁を大切に生きる」という事です。縁は様々な形象で現れます。人であったり、助言であったり、経験であったり。。。良い縁も好ましくない縁もすべてがチャンスです。その縁を祝福し感謝して受容することで成長できます。そして過去の自分に執着せず、今生かされていることに感謝して今を精一杯生きることで、より進化するための新たな縁が生まれます。
それが、「縁を大切に生きる」ということです。

もう一つ、在校生の皆さんにお伝えしたい大切なことがあります。
それは、日本人として誇りをもって生きて欲しいということです。そのためには日本の歴史や文化、伝統をしっかりと正しく学び、継承していかなければなりません。それが真の国際人としての必要条件であると私は思います。
私は仕事柄外国人と接する機会が多く、また定期的にスペインへ滞在します。
恥ずかしながら自分の国(日本)のことをほとんど知らなかった私は、スペイン滞在中に色々な意味で本当に恥ずかしい思いをし、根なし草のような自分を深く反省しました。そして帰国後、古事記から学びなおしました。
そして、日本が2674年続く世界最古の国家であることや、世界で最も人気のある国であることも知りました。
震災の折に秩序を守りながら互いに助け合い感謝し合う日本人の姿を見て、世界中の人がその精神性の高さに感動し、「すべての日本人がキリストのようだった」と感想を述べました。

フラメンコはスペインのものですが、心は日本人としての誇りを持ち、心技体のバランスの取れた精神性の高い踊り手として活動していきたいと決意しています。

Exif_JPEG_PICTURE(六甲山石宝殿「白山の宮」奉納)

2年前の同窓会の折に、辻本学校長よりお言葉をいただきました。
「ダンスが義務教育になったので、生徒たちに何を教育すればよいか舞踊家としてのアドバイスが欲しい」
このお言葉を新たな「縁」ととらえ、現在は教育現場でのダンス指導を手掛けております。
まず地元の宝塚市文化財団に提案し、教育委員会のご協力もいただきながら、今年6月に学校の体育の先生方を対象としたダンスのワークショップを開催いたしました。宝塚市以外にも波及していくことを夢見ています。

「スポーツなんでも事典~ダンス~」掲載写真「スポーツなんでも事典~ダンス~」掲載写真(コルドバコンクール出場)

先日、生徒の発表会を開催しました。生徒たちはそれぞれの人生の中でフラメンコと関わり、受験勉強の合間や、子育ての合間、仕事や看病の合間などの限られた時間の中で一生懸命練習し、今の自分の精一杯を表現するために舞台に立ちます。
舞台で輝く生徒一人ひとりの姿を見る時、この仕事を選んで本当に良かったと実感します。

生徒発表会 (生徒発表会)

母校の同窓生がいつも私の活動を応援してくれます。遠くから公演に足を運び、励ましてくれます。
本当に嬉しいです。ありがたいです。友達は人生の宝です。大切に、大切にしたいです。

最後に、私が今も守っている母校の教えを3つ。
「優先座席には座らない」 「5分前行動」 「早朝の美化活動(清掃)」

母校の益々の発展を祈り、学力はもちろん精神を鍛錬する道場であり続けて欲しいという願いも込めまして、創立50周年のお祝いの寄稿とさせていただきます。ご縁に感謝します。ありがとうございました。

2014年11月5日 飯間郁容

ベガホール(宝塚ベガホール)

こんにちは、金蘭千里中学校・高等学校です。

毎週金曜日は、「金蘭50年」と題して、金蘭千里のこれまでの歩みをご紹介しています。

1996(平成8)年度は、創立32年めです。

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宇野正男先生が学校長を勇退され(画像左.第4代校長:1983年6月~1996年3月)、
辻本賢先生が学校長に就任されました(画像右.第5代校長:1996年4月~現在)。

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7月に、ポーランド大使のリプシッツ氏が来校されました (写真左から3番め) 。
佐藤講堂での講演会を全校生徒でお聞きしました。

「諦めんなよ!」とテレビで松岡修造さんが言っていた。
僕は、諦めるとか諦めないとか考えたことがなかった。

これを初めて考えたのは徒歩訓練の帰り道で、坂にさしかかった時である。
僕は運動が苦手な方なので、辛い時は休憩しているのだが、その時は後ろから一年生がやってきてとてもあせっていた。

休もうかどうしようか迷ったが、皆に迷惑はかけまいと思って諦めずにがんばったらなんとか登りきることができた。

諦めるということは時によっては重要なことだが、諦めずにやり続ければ大抵のことはできる。これは僕の学校生活をよりよいものにしてくれるだろう。

(中二6  N.Y)