金蘭千里50式

2015.04.11

金蘭千里学園50周年特設サイト

「金蘭50式」は、50周年を迎える金蘭千里中学校・高等学校の「今」をお伝えする特設サイトです。一年にわたり、様々な視点からのコンテンツを50個ずつ発信して、金蘭千里の姿を描き出します。

最新の記事

「風が強く吹いている」三浦しをん

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10人の選手で襷をつなぐ「箱根駅伝」。その箱根駅伝に同じ貧乏寮「竹青荘」に住む素人集団10人が、僅か1年で予選会を突破し、本戦出場する物語。普通に考えるとありえないことですが、読み始めたら止まらない、そして何度も涙する作品でした。特に後半の箱根駅伝本戦レースシーンは、10区を走る1人1人の選手の心情と情景が丁寧描かれ、一緒に216.4㎞を走り切りゴールした気持ちにさせられ、改めてスポーツの素晴らしさ、仲間の素晴らしさを感じさせられました。スポーツの苦手な人も、箱根駅伝に興味のない人も是非読んでもらいたい作品です。

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英語科教諭、書道部顧問  土居 輝信

「I go to the john.」

これは古くからある英語のスラングで、「トイレ行ってくるわ!」という意味です。スラングは ビジネスでは通用しない行儀の悪い表現ですが、友達同士ではよく使われるくだけた言い方。 もし「ほんまかいな!」とか「ごめんやで!」とか言うアメリカ人がいたら、何となく親しみを 持ってしまうように、英語圏の人と手っ取り早く親しくなりたい時には、役立つことがあります。

特に映画やドラマはスラングの宝庫。気の利いた表現が出てきたら、いつか良いタイミングで使えるように頭の中に保存しておくようにしています。

私が好きな映画「ハーレーダビッドソン&マルボロマン」。汗臭い男の友情を描いたこのアメリカ 映画にも、気になるスラングが出てきました。それは、秘書が客人を上司の部屋へ案内する時に 言った「Stay on my tail(私の尻尾に乗れ)」という表現。すなわち「私の後についてきてくださ い」の意。ひねりの利いた表現が格好良く、いつか誰かを案内する時に使おうと温めていました。

そんなある日、神戸を歩いている私に、香港から来たばかりという旅行者が南京町への道を尋ね てきたのです。ついに訪れた絶好のチャンス。私は彼を南京町まで連れて行ってあげようと、 親指をぐっと突き出し、渾身の「Stay on my tail!」を放ちました。しかし、彼はなぜか明らかに怪訝な顔をして、「アリガト…」と去っていったのでした。

後日、カナダ人の友人にこの話をしたところ、「Stay on my tail!」は日本語で言うところの、 「アタイの後に付いてらっしゃいヨ!」なのだとか。確かによく考えれば、映画の中でこの台詞 を口にしたのはお色気ムンムンの女性秘書でした。皆さんは、普通に「フォローミー」と言って ください。

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こんにちは、PC部です!
今回は、我らが金蘭千里中学校・高等学校の校長先生こと辻本先生についてお送りします!
校長先生の朝のようすと、
以前PC部でお邪魔した際の校長室でのお話をご紹介したいと思います。

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JICA/アフガニスタン人材育成プロジェクト現地マネージャー  瀧川貴世さん(21期)

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中学・高校生の時、自分が何の職に就くかという思いとは別に、いつも心がざわざわしていたのを今でも懐かしく思い出します。

“自分は何のために生まれてきたのだろう・・このままでいいのかな・・何をすべきだろう・・”

この問に正解はありません。でも、これから皆さんが自分の人生をいきて行く中で、きっと自分なりに回答を見つけられることだと思います。

私はまず、この同じ世界、時代に生きるいろいろな人、事物を知ってみたいと思いました。

大学時代、いろんな障害者施設、老人施設など、ボランティアしてまわりました。市のベビーシッター登録もしました。私はたまたま五体満足で生まれてきましたが、そうでない人の視点、人生の先輩方の視点、そして私より小さな人達の視点・・そして外国の人々の視点。

大学卒業後出版社で働いていた時、街で青年海外協力隊の募集広告を見ました。興味本位で説明会を覗きにいきました。海外で働くための様々な職が並んでいる中、“私にできるものがない!” 強烈なショック。中高大と勉強してきて、どうして何もできないの?!悔しくて、その職の中で一番興味のあるものをやってみよう、と思いました。それが日本語教師でした。

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2年後、ジョルダン大学の日本語教師として派遣されました。そこで2年を過ごし、任期が終わる頃、もっと世界の仕組み、どうして富める人と貧しい人がいるのか、そのギャップはどうしたら少なくなるのか、ということ等をきちんと知りたいと思い渡英。大学院に2年留学して開発学を学び、その後、国際協力機構(JICA)で働きはじめました。

まず東京の本部で日本の国際協力がどういうものか実地に学び、中米のエルサルバドル国に本部がある中米社会開発統合機構に社会開発専門家として赴任し、中米8カ国の社会の共通の問題にどのように取り組むか、日本がどう支援できるかということを2年ほど考えて過ごしました。その後南米勤務を経てアフガニスタンに赴任したのは2005年のことです。最初はリプロダクティブ・ヘルスプロジェクト、そして識字プロジェクト、都市開発プロジェクト等を経て、今は人材育成プロジェクトのマネージャーをしています。同時に、アフガニスタンの日本大使館からの依頼で、カブール大学で日本語教師もしています。

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こういう仕事をしていて気づかされるのは、人間世界の面白さです。この世界は人の営みで成り立っています。人は皆、幸せになりたいと思って、他の人も幸せにできたらいいなと日々生活をしているのに、どうして皆幸せになれないのでしょう?どうして世界では争いが絶えないのでしょう?これはきっと、永遠のテーマですね。でも、この世界の未来を創っていくのは今の皆さんのような若者です・・ということを、もっと皆に自覚してほしいな、と思うのです。
今私は、これからの日本を創っていく、世界の未来を担う皆さんのような学生たちと、いろんなことを学んでみたいと、教職に就くため努力中です。私の何ページ目かの人生の扉を開くのは、もうすぐだととても楽しみです。

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こんにちは、金蘭千里中学校・高等学校です。

毎週金曜日は、「金蘭50年」と題して、金蘭千里のこれまでの歩みをご紹介しています。

1995(平成7)年度は、創立31年めです。

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1月に阪神淡路大震災が発生したことを受けて、
被災者にお見舞いを申し上げる新聞記事が掲載されました。
(法人分離前の出来事ですので、「金蘭会学園」として掲載されています)

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外交官になられた卒業生をお迎えする「外務省講演会」が始まりました。
第1回は1996年2月に、船越健裕氏(17期)に講演していただきました。

「輝き」

私が金蘭千里に入学した理由、それは「生徒の礼儀正しさ」と「生徒の明るさ」でした。

私がこの学校に初めて訪れたのは小学校5年生の時でした。 毎朝20分テストがあり、真面目なイメージでしたが、実際は明るく、すれ違う生徒全員が あいさつをしてくれました。その雰囲気に好感を持ち、受験することを決めました。

入学して慣れない環境で時間やテストに追われていて投げ出したくなることもありました。 しかし、それらは私の力を伸ばしてくれるものだと気付きました。

これからも金蘭千里が生徒の輝くところであってほしいです。

(中二5 K.K)

Saint-Exupéry 「Le Petit Prince」(辻本賢)

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私の今日の学問的な基礎、今日の教訓的な心的状況を形成した物語は、Saint-ExupéryのLe Petit Prince です。

第2外国語の選択をフランス語に決めたのは、映画研究部に属していたので、せめてフランス映画の原名を発音し、訳してみたいと思ったからでした。法学部でフランス語を選択したのは100人のうち僅かに3人でしたので、仏文の学生と同じクラスの授業に入ることになりました。それは、とても厳しいものでした。1回生の学年末に、ついに単位を落としてしまいました。その点数は59点でしたので、先生にお願いに上がりましたところ、先生曰く、「可には僅か1点しか足りないが、その差は無限だ、君はフランス語を使う研究をするのか、しないのか」。「分かりました」と頭を下げて退室しました。そして、フェールした1回生の授業と2回生の授業をともに受講する形で進みました。その2回生のText がLe Petit Princeでした。夏休み後の最初の授業で、仏文生と競って得たフランス語力によって、もう1回生の講義には出なくてもよいと言っていただきました。

Le Petit Princeは、丸善で初めて購入した洋書で、表紙の星の王子さまに見入ったことを今も鮮明に記憶しています。可愛いわりに、なかなか手ごわく、訳は、内藤 濯を参照しました。そのお陰で、フランス語の力がつき、3回生に配当されている外書購読で、J.J.Rousseau“ Du Contrat Social”や Montesquex“L’Ésprit des droit”を読むことにつながり、4回生で、ゼミで国際法を学ぶ契機となりました。さらに、大学院修士課程、のちに博士課程の受験科目にもなりました。

今まで、Textで心に響いて感動したという経験は、過去の学校生活ではありませんでした。Le Petit Princeは、フランス語のTextとして、読みましたが、Textの内容がこれほど心にしみたものはありませんでした。

わが子に訳して、話してやろう、翻訳本を作ろうと、毎年のように、4月には、訳し始めていましたが、ノートは7月で終わっています。それ以後、自ら訳して、わが子に話してやろうと思ったTextに巡り合っていません。

バラの花、バオバブの木、夕陽、キツネの訓え、大切ことは目には見えない、蛇にかませて体をかませて軽くして、自分の星に帰るラストシーン。

私は、バラの花、キツネの訓えである友達について大いに教えられました。

子どもに読んで聞かせ、親子で話し合い、中学生になったところで、読ませてみて、高校生、大学生、結婚してわが子を持った時に読んでみて、というように、人間のいろいろな場面で、読むに堪える物語であると今もって思っています。

高三の政経の授業中に、フランス語の授業での逸話を話していたら、「それは僕のおじいちゃんです」と言った生徒がありました。Le Petit Prince を教えていただいたのは林和比古先生。今でも、わずか1点の差だが、その差は無限だ。フランス語を使うのか使わないのか、この言葉は、今日の私を作り上げています。

【Amazon】  Le Petit Prince

理科教諭、バドミントン部・ワークアウト部顧問  西井啓通

「ふしぎだと思うこと これが科学の芽です。

よく観察してたしかめ そして考えること これが科学の茎です。
そうして最後になぞがとける。 これが科学の花です。」
日本の物理学者 朝永振一郎博士のことばです。
科学にたずさわる者、分野を究めるその前に、「よく考え、愉しむこと」ならそれぞれ何かをきっかけにして身に付けていることと思います。

高校2年生の秋、おもりとつるまきばねを使って振動の実験をしていたとき、無機質な鉛のおもりの振動が周期的に大きくなったり小さくなったりしました。まるで生き物のよう
なこの律動は、本当に不思議な光景でした。となりでこれを観察していたA君が「うなりだ」と言ったので、図書室に直行して調べると、「高さのわずかに異なる音が干渉して、
音の大きさが周期的に変化すること」とありました。

ちょうどその頃、微分形式で物理の学習を進めていましたので、この光景を微分方程式に表してみることにしました。このとき、ばねの重心移動とおもりの振動を連立するように
して方程式をつくりました。2学期末試験期間中でしたが、1週間必死になってその方程式を解くことができました。試験休みに入る頃には、それが周期のわずかに異なる2つの
振動の干渉によるものとわかりました。2つの振動が干渉して、その結果、おもりに不思議な動きを与える低周波数の振動が観察されていたのです。これはまさに「うなり」の発
生で、おもりとばねがその低周波でエネルギーを伝えあう「共振」をしていることもわかりました。

寺田寅彦のようにさりげない日常のふしぎをよく観察して考えることやR.ファインマンのようにいつでも物理を愉しむ姿に感化され、さまざまな事象の「ふしぎ」の殻を破ってみ
たい思いが大きくなりました。荒唐無稽なものにならないよう、パラメーターを整理して、微分方程式に表して解くこと、解けないときにはそれをていねいに理解することを続け
ました。わかるまで考える、わからなくても1週間後また考えるというふうにして。

数年後、理論物理学を専攻し、Tomonaga理論を学び、低温になると固体中では小さな電子が波のようにうなりと共振を起こして相互作用するさまが観察されることがあると知った
とき、高嶺に咲く科学の花は本当に美しいものだと実感しました。そして今、かつてのA君のように教室に根を張り、科学のふしぎに気付く高校生の眼にいつか出会えることを愉
しみにして、授業に向かいます。

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こんにちは!PC部です!
今回は第29回徒歩訓練のようすについてご紹介します!

徒歩訓練とは、その名の通り長距離を忍耐強く歩く行事です。
とはいうものの、ただ辛いというだけではありません!!
学校から徒歩で山道を歩いたりするので、近くの地理を把握できたり、
10月末ということで、秋の季節を感じつつ自然に親しむこともできます。

グループの仲間と5時間近く一緒に行動をします。

たくさんの話をしつつ、
協力・励まし合いながら最後まで歩くというのは、
ゴールした瞬間の達成感も一入です!!

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寺田(萩原)景子さん(20期、アジア開発銀行 経済研究局 シニアエコノミスト)

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金蘭千里 創立50周年、本当におめでとうございます。日本を離れてから20年以上経ちますが、帰国、帰阪の際変わらずきれいに整備された母校を目にするたび懐かしく、また同時に、辻本先生をはじめ、先生方のご尽力のもと、進化を遂げている母校の様子を伺い、ますます誇らしく感じているしだいです。

高校卒業から27年経ちますが、うち20年は、留学、仕事のため主に米国、フィリピンで過ごしています。米国首都ワシントンで大学院を終了後、国際通貨基金や世界銀行などを経て、現在は、アジア開発銀行経済研究局でエコノミストとして働いています。主にアジアの国々の経済発展、貧困削減を目的としたプロジェクトに貸し出しをする国際機関です。フィリピンの首都マニラに本部のある職場には、61カ国から3000人以上、様々な文化、宗教、生い立ちの同僚がいます。大学院で勉強したことを日々生かしながら、主に経済成長や金融の分析などの仕事をさせてもらえるという有難い境遇です。

フィリピンは南国ですので、一年を通して気温は摂氏30度前後です。雨季と乾季があり、5月半ばに雨季に入る直前の3と4月が一番暑く、マンゴーやパパイヤなどの果物がおいしい夏になります。学校は夏休みになり、人々はビーチに出かけます。ただ、国際化が進み、来年度から夏休みは北米などで一般的な6-7月になることが決まっています。地元の学校では冷房設備はほとんどないので、気温が40度近くまで上がる夏場に勉強するのは大変だろうなと想像します。

アジア開発銀行は、教育システムの改革や学校の設立などのプロジェクトにも国と一緒に取り組んでいますが、子供が多く学校の数が足りないフィリピンでは、学校は午前の部と午後の部の2交代制です。ですので、授業時間が短く、日本の学校のような恵まれた環境で過ごせる子供は本当に一握りです。金蘭千里在校生の皆さんには、学校運営に関わっていらっしゃるすべての先生方のご指導の下、自分の興味を広げて、恵まれた学習環境・機会を大いに利用されてください。

学校で習う知識は、自分らしく生きていくための自信につながります、また信頼できる先生や友に出会うことによって培える、人間性、社会性は生きていく力になります。

末筆ながら、母校と皆さまのますますのご発展を祈念しております。