金蘭千里50式

2018.01.01

金蘭千里学園50周年特設サイト

金蘭千里中学校・高等学校が2015年の50周年を記念して制作した、リレーブログ形式のコラム集です。一年にわたり、様々な視点からのコンテンツを50個ずつ発信して、金蘭千里の50周年時の姿を描き出しました。

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社会科教諭、鉄道研究部顧問  山内 敏雅

人口3690人、面積236.5平方km。海抜1445mにもなる四国カルストに抱かれた、「雲の上のまち」、高知県檮原(ゆすはら)町。私のルーツの町です。幕末には那須俊平や掛橋和泉らの志士を生みました。町内には「坂本龍馬脱藩の道」が続いています。
墓参のためにこの町を訪れるのも、数年に1度になってしまいましたが、足を踏み入れるたびに、新しい発見があります。

檮原町のことが地理の教科書に載りました。過疎と高齢化が進む町として取りあげられていましたが、町内の千枚田の写真も大きく掲載されていました。この千枚田こそ、司馬遼太郎氏が「万里の長城よりすごい」と言ったという、檮原町最大の遺産です。土壌の悪い山中の乏水地に千枚田を切り開いた先人たちの努力を思う時、尊敬の念を抱かずにはいられません。町では平成4年からは棚田オーナー制度を始め、素晴らしい景観の中での農作業を通じた癒しの提供にも力を入れています。

また、町内にはいくつかの「茶堂」と呼ばれる、茅葺、板敷の建物が残されています。そこでは諸仏を安置し、町を開いた津野氏の霊を慰めるとともに、地域の人々が交代で行き交う旅人を茶菓でもてなしてきました。信仰と社交の場として、うるわしい役割を果たしているのです。「おもてなし」の精神は、今なお受け継がれています。そんな人々の優しさを知るたびに、この町と自分が関わりを持っていることをとてもうれしく感じます。

生まれ育って、現在も住み続けている都市は私にとっては「地元」。しかし、「地元」とは別に「ルーツ」を持っていることはすばらしいことです。それも人口過密で自然に乏しい大都市ではなく、昔からの自然と人情を守り続けている町です。「ユスハラは土佐のチベットやきに」と町の人は言います。土佐の中でも、独自の文化を継承してきたのです。だからこそ檮原町のことを調べれば調べるほど、私のルーツ自慢は高まっていくのです。

さて、現在の私の興味関心は、「自分の先祖がこの町でどのように生きていたのか、どんな仕事をしていたのか」ということ。資料も伝承もなく、ほとんど手掛かりはありません。

自分のルーツを究める旅は混迷を極めております。