金蘭千里50式

2018.01.01

金蘭千里学園50周年特設サイト

金蘭千里中学校・高等学校が2015年の50周年を記念して制作した、リレーブログ形式のコラム集です。一年にわたり、様々な視点からのコンテンツを50個ずつ発信して、金蘭千里の50周年時の姿を描き出しました。

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これまで極めてきたこと、この題を頂いた時本当に困ってしまった。何もないことに気づいた。いろいろなことに興味の赴くまま挑戦してきたが、プロとまでは言わなくとも、人並み以上に出来ることが何一つない。しかしながら、よく考えると、常に何かしら音楽と関係のある事に関わっていることに気づく。授業では地理を担当しているが、常に興味は世界各国の食べ物以外には、民族音楽に目が向いている。趣味としては、これまで西洋のクラッシック音楽を習ってきたが、5年ほど前から笙を習い始めた。なかなか練習する時間がなくて上達はしないのだが、それに伴って雅楽を勉強し始めると、西洋音楽との違いだけでなく、結婚式や正月にしか聴かない音楽が実は知らないうちに生活の中に溶け込んでいる事がわかる。

例えば、「音頭をとる」、「やたら」、「二の舞を踏む」、「千秋楽」。普段何気なく使っている言い回しがあるが、これらの言葉は全て雅楽の言葉からきている。千秋楽は相撲や歌舞伎が語源ではなく、もっと古いものである。能から来た説と2説あるが、少なくとも千秋楽という言葉は雅楽のほうが古い。実は、これは源頼能(よりよし)によって平安時代に作曲された雅楽の中で一番の「新曲」なのである。つまり、千年以上新たに作曲したものはいないということだ。そして、東アジア東南アジアから伝わった曲がほとんどの雅楽の中で数少ないが国産の曲もある事がわかる。
さらに、勉強していくとこれまで苦手だと思っていた古典の世界がより身近なものになってきた。光源氏と頭中将が舞った青海波がどのようなものであったか、もっと具体的なものとしてイメージができる。さらに、清少納言が現代のブログに当たる随筆で篳篥の音が以下にうるさくて汚いかを語っているが、実は「下手くそ」な演奏を聴かされていたことが分かるだけでなく、平成の初めまでどこの家からも聞こえてきたピアノの演奏に上手な人と下手な人がいたように、誰もが練習をしていて当然、柏木の笛のように上手な人と、清少納言が聞かされた篳篥のように下手な人がいて、練習している音が家々から聞こえてきたということも分かる。今よりもっと敷居の低い音楽だったのだ。

ただ一つの事を極める、これは素晴らしいことだ。それは疑いの余地がない。だが、広い視野を保つ為、いろいろなことの理解を深めることも大切なのかもしれないと思う。もちろん、あれもこれもと手を出して何も身に付かないのは問題だが、何か自分の興味を軸にして、そこから広げていくことによって、これまで知っていたはずのことにもより理解が深まっていく、新たな発見をする喜びを知るこういう楽しさを知ることも大切な気がする。これから、どこまで続けられるかわからないが、もう少しこの雅楽の奥深さを追求していきたいと思っている。