小学校6年からなので、釣り歴は長い。中学・高校のときは、阪急電車の始発に乗って、明石近辺・淡路島・泉南などに出かけた。が、釣れなかった。
社会人になって釣りを再開し、餌屋の親爺さんに「40cm以上の魚を釣ったら、魚拓とってあげる」といわれ、1年通ったが、釣れなかった。もう1年頑張ったが、40cmどころか30cmも釣れなかった。こうなると、もう意地だ。3年目の秋にやっと釣れた。手が震えた。その時の魚拓は今も大事にとってある。
意地になって通い続けているうちに、餌屋の常連さんとも顔なじみになり、徹夜明けに餌屋に寄ってウダウダやって帰るのが習慣になった。どの常連さんもかなりの偏屈である。なかでもOさんとFさんの二人は凄い、絶対に「うん」とは言わない。「何ゆっとんねん」が決まり文句である。また、Yさんは常連の誰もが認める名人だった。滅多に口をきかないが、時々ぼそっと教えてくれた。明石海峡は潮の流れが複雑で、分かったつもりでいても予想と全く違うことも多かった。「ワシは満潮・干潮の時間は見ない」――Yさんのこの一言で3年間悩んだ。このYさんを知らなかったら、今頃私は天狗になっていただろう。
偏屈集団のメンバーを束ねるのが、親爺さんである。何故かとても可愛がってもらえた。
その親爺さんも亡くなった。常連さんも殆ど顔を見なくなった。
今でもその釣り場にずっと通っている。