社会科教諭、合唱部顧問 桑木茂幸
気が早すぎますが、来年のNHK大河は「真田丸」。主人公は真田幸村。御存じ、大坂の陣で豊臣方に付き獅子奮迅の活躍をしながらも壮絶な最期を遂げた、歴女に超人気の戦国武将です。没後400年ということもあり、各地で関連イベントが行なわれています。ご紹介する真田山は大阪市の天王寺区、上町台地に存在します。冬の陣の時、幸村がここに大坂城防衛の為の出城を造ったのでこの地名になりました。現在ここには、私の母校大阪市立真田山小学校があり(金蘭千里にも過去何人か在籍していました)、何と校章は、大阪市のマークを真田家の家紋である六文銭が囲むというもので、これを他校生にいつも自慢していました。
最初に紹介しますのは三光神社。大坂城から続くとされる秘密のトンネル「真田の抜け穴」で有名です。私が子供の頃は、幸村の銅像も無かったですし、抜け穴も今みたいに扉で封鎖されていませんでした。自由に出入り出来たのですが、本当は数メートルで行き止まりです。残念!
もう一つ紹介したいのは、隣接する陸軍墓地。知る人ぞ知る歴史遺産です。明治維新以降、西南戦争から太平洋戦争までの戦死した陸軍関係者の墓地です。墓石は全部で5000基ほどあると言われますが、軍隊の厳格な階級制度を反映して、一般兵士と将校とでは墓石の規模(はっきり言って立派さ)が全然違います。子供心にも「死してなお」という非情さを感じました。
しかしながら、正直言って畏敬も畏怖も特に感じてはいませんでした。真田山小学校では当時、隣接する陸軍墓地の広場を日常的に第2運動場として使っていましたし、日曜ともなるとクラス対抗の野球の試合を子供たちが勝手にやっていました。ライパチ君(ライトで8番)であった私は、打球を後ろへそらす度、チームメイトの罵声・怒声を浴びながらボールを追いかけて墓石群の中へ駆け込むというのが常でした。欠けたり倒れたりしている墓石も多く、遺族がお参りに来ている姿などほとんど見たこともありませんでした。まさに忘れられた墓地だったのです。
今回40数年ぶりに訪れてみると、広場には何本も木が植えられ(しかもかなり大きく成長しています)もう野球は出来なくなっていました。墓石の修復もされており、月1回程度ボランティアの方が説明する見学会も開かれているようです。そして捕虜収容所で病死したのでしょうか、日清戦争時の中国兵や、第一次大戦時のドイツ兵の墓もあるという事を、昔は無かった案内板で知りました。人知れず保存会の方々が地道な活動を続けてこられたのだと思います。合掌
右奥の建物が真田山小学校
皆さん、これから注目度アップ必至の真田山に是非お越し下さい。桜の頃がベストです。最寄りの駅は、環状線か地下鉄の玉造です。帰りは一駅歩いて鶴橋で、市場見学というのもお薦めです。