芸術科音楽教諭 合唱部顧問 河邉敦子
振り返れば 普通科高校で3年生の時には文系の化学を選択し、薬剤師か看護士になりたいと友人と話していた私。一方で、髙1・髙2の担任が音楽の先生で、高校入学したときから音楽大学を目ざすクラスメイト3人が側にいて、いつの間にか影響を受けていたようで、高3の秋には 志望校を決めるとき 音楽大学と薬学部のある大学との間で揺れ動き音楽大学の方へ。 楽器となる身体ができあがるのは高校生頃からなので今からでも間に合うといわれ 声楽専攻を目ざすことになる。(もちろん 父親の大反対に合う・・今思えば その大反対のおかげで現在に至ることができた訳ですが。)
大学のオペラの授業で歌唱の技術だけでなく メイクをして衣裳をつけ別の人格を演じるという事に魅せられ 卒業と同時により深く勉強したいと 関西歌劇団(当時 朝比奈隆氏が団長)に入団、オペラ公演でのコーラスの1人から、次にキャストの1人として活動を続け、タイトルロールを歌わせていただく機会にも恵まれました。オペラ公演に参加する度に、新しい発見があり、そこで得た知識を授業に反映させることで 又生徒からも教えられることが多々ありました。
総合芸術といわれるオペラ。
キャストとしての 歌の勉強はもちろんですが、体調管理や時間の使い方、練習で良くても本番で結果を出さないと認めてもらえないなど、また現在 プロデュースの関係の事もする年齢になってきて、まだまだ学ぶものが多くあると感じています。
大阪音楽大学で、声楽専攻を選択した私、生徒を指導している間はレッスンを続けなければいけないという 恩師の教えもあり今も歌の勉強を続けています。この続けるということが 歌うことを「究める」事になると信じてこれからも精進します。