金蘭千里50式

金蘭千里学園50周年特設サイト

「金蘭50式」は、50周年を迎える金蘭千里中学校・高等学校の「今」をお伝えする特設サイトです。一年にわたり、様々な視点からのコンテンツを50個ずつ発信して、金蘭千里の姿を描き出します。

教職50究

国語科教諭、演劇部顧問  谷本 祐子

つれづれと空ぞ見らるる思ふ人
天降り来むものならなくに

これは、平安時代の歌人和泉式部が、恋人・敦道親王を亡くした後に詠んだ歌である。

<手持ち無沙汰で思わず空を眺めてしまうことだ。恋しいあの人が天から降りて来るわけでもないのに> 口語訳すると、ほぼこんな意味になるだろうか。

私がこの歌と出会ったのは、大学二年生の国文学講読の最初の授業だった。恩師・藤岡忠美先生は、「助動詞の活用や接続等の文法的な知識は、きっと受験勉強をしてきた皆さんの方が得意だと思います。ただこの歌は、「らるる」という助動詞が、「つれづれと」という言葉と響き合って、最愛の人を失い、中空(なかぞら) に漂っている式部の心情を見事に表していますね。」と仰った。そして、文学史で書名だけを覚えた、中河与一の『天の夕顔』が、この歌から想を得て書かれたことも話して下さった。恋多き女性として品行に関してはあまり評判が良かったとはいえない和泉式部を、残された資料を丁寧に読み解きながら<自照の歌人>と評された先生。自照とは、自らに起こった不幸の原因を自らの罪業に求める自省の心が極めて強いという意味なのだが、私にとってこの授業はまさに目から鱗であった。

所謂受験文法だけに頼らない古文の読解、古語に含まれる深い意味、古典の世界は何と奥深く興味深いのだろうか、この衝撃と感動につき動かされて、ここまで歩いてきたと思っている。

歳を重ね、身近な人、かけがえのない人が彼岸に旅立つことが多くなった。春夏秋冬、頭上に抜けるような青空が広がっている時、重い雨雲が空を覆っている時、空を見上げ、思わずこの歌を口ずさんでしまう。その度に、千年の時を超えても色褪せぬどころか、一層輝きを増す古語の美しさ、力強さに感動も覚える。 十代の生徒たちに古典作品を解説しながら、もうしばらくはこの此岸で、豊かな古語の海に舟を浮かべていようと思う。