金蘭千里50式

金蘭千里学園50周年特設サイト

「金蘭50式」は、50周年を迎える金蘭千里中学校・高等学校の「今」をお伝えする特設サイトです。一年にわたり、様々な視点からのコンテンツを50個ずつ発信して、金蘭千里の姿を描き出します。

生徒50人

私はスケッチブックを開いていた。

何かを描こうとしていたのだろうが、真っ白なその紙を見るとはたと忘れてしまった。折角取り出してきたのにすぐ元に戻すのは気が引けたので、しばらく何の変哲もないそれを眺める事にした。黄と黒の特徴的な表紙に、真っ黒で硬いリング。その中に収まる、凸凹な面と滑らかな面を合わせ持つ、えも言えぬ真っ白な紙。私は普段から、凸凹な面を表として絵を描いているのだが、これには理由がある。単に描きやすいから、というのが大部分だが、少数派が好き、という極めて潜在的な理由もあると思っている。それは、凸凹であるが故のものだ。平らな紙の場合、どこを取っても均一的でつまらなく感じてしまうが、凸凹だとそうではない。個々が少しずつ違うから面白いのだ。このような私の感じ方は、他の事柄でも同じように当てはまる。

たとえば、たくさんいる普通の人達――本人達はそう感じないだろうが――は、これといった特徴的なものがないのに対し、少し違う人間――世間一般でいう「変人」に似て非なる存在――は、おのおの異なった個性を持っている。かく言う私もその部類なので、類は友を呼ぶように、私の周りには個性あふれる人々が多い。昔はそうでなくつまらなかったのだが、今となっては毎日がとても面白い。この経験が、私を少し違った思考へと変えてしまったようだ。
世間では、「人と違った意見を持て」、「個性を発揮しろ」などと個性が求められる風潮がある。そんな時、普遍的な、同一的な人ははたと困りかねない。自分の個性は何か、と考えこんでしまう。しかし、少しだけ違った点があると、それが立派な個性というものになる。だからと言って、特別変な人になれ、と言っているのではない。むしろ、己の中の人と違う部分を認めて、それを恐れず出していけば良いと思うのである。私もかつては己が出せなかった。人を恐れ、隠していたが、一度出してみると、想像もしない世界が待っていた。

それから私は、自分が好きな絵をより一層描くようになった。何冊ものスケッチブックを埋めるほどに。そして今日もまた、好きな絵をスケッチブックに描いていく。

(高一1  A.S)