金蘭千里50式

金蘭千里学園50周年特設サイト

「金蘭50式」は、50周年を迎える金蘭千里中学校・高等学校の「今」をお伝えする特設サイトです。一年にわたり、様々な視点からのコンテンツを50個ずつ発信して、金蘭千里の姿を描き出します。

生徒50人

私には夢がありまして、それで理系に進みましたが、実際は一般的な「理系」とは程遠く本と日本語と活字がなによりも好物な人間です。
そんな私が、理系のクラスに進んで肌に刺さるように実感するのはクラスメイトの国語嫌いです。

「国語大嫌い」
「めんどくさい」
「読むん疲れる」

それを聞くたびに、余計なおせっかいとは知りつつも『日本語って美味しいのになぁ』なんて思ってしまいます。

私は前述した通り本を愛しておりますが、その中でも一等好きなのは実を言うと「教科書」なのです。
これを言うと変人だなんだと言われることも多々ありますが、よく考えてみると教科書が面白いのは当たり前な気がします。
なんといっても教科書は、いろいろな偉い先生方が数ある古今東西の名著の一番印象的なところを切り取り、まとめて、載せているものなのですから。

名著のセレクトも、とても素敵です。

坂口安吾の『桜の森の満開の下』『堕落論』
谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』
中原中也の「汚れちまった悲しみに」
三島由紀夫の『白鳥』
中島敦の『山月記』etc…

やはり、「不朽の名作」と呼び声の高いものはそれなりの理由があるなぁなんてしみじみ思えるラインナップです。

そして文壇の巨匠による文章には、ため息が溢れるほど生々しくて美しい表現力が宿っています。

例えば前述したものから抜粋すると、
「(前略)・・・頭上に花がありました。その下にひっそりと無限の虚空がみちていました。ひそひそと花が降ります。それだけのことです。ほかには何の秘密もないのでした。・・・(中略)・・・ほど経て彼はただ一つのなまあたたかな何物かを感じました。そしてそれが彼自身の胸の悲しみであることに気がつきました。花と虚空の冴えた冷たさにつつまれて、ほのあたたかいふくらみが、少しずつ分かりかけてくるのでした・・・(後略)」坂口安吾『桜の森の満開の下』
「・・・(前略)玉(ぎょく)のように半透明に曇った肌が、奥の方まで日の光りを吸い取って夢みる如きほの明るさを啣(ふく)んでいる感じ、あの色あいの深さ、複雑さは、西洋の菓子には絶対に見られない。・・・ (中略)・・・だがその羊羹の色あいも、あれを塗り物の菓子器に入れて、肌の色が辛うじて見分けられる暗がりへ沈めると、ひとしお瞑想的になる。
人はあの冷たく滑かなものを口中にふくむ時、あたかも室内の暗黒が一箇の甘い塊になって舌の先で融けるのを感じ、ほんとうはそう旨くない羊羹でも、味に異様な深みが添わるように思う。」谷崎潤一郎『陰翳礼讃』

ああ、美味しい。
国語が嫌いだというヒトはまず食べてみませんか?意外と食わず嫌いかもしれませんよ。
成績面でも苦手が減ることはとても嬉しいことですから。

そんな「国語のススメ」を日々布教している私ですが、自身は数学に苦しんでいます。数学の演習がもう大変で、昔に比べると本を読むことに当てている時間がびっくりするほど少なくて、学年が上がったことによる重圧をひしひしと感じております。

「あそびたい」
「本読みたい」

と喚いて実行したいのは山々ですが、

折角こんな美しいコトバの国に生まれたのだから、そんな言語に恥じない背筋の通った生き方がしたい、と滲むように思い己を律する今日このごろです。

(高二5  O.S)