金蘭千里50式

金蘭千里学園50周年特設サイト

「金蘭50式」は、50周年を迎える金蘭千里中学校・高等学校の「今」をお伝えする特設サイトです。一年にわたり、様々な視点からのコンテンツを50個ずつ発信して、金蘭千里の姿を描き出します。

教職50究

振り返ってみると「ひとつのことを究める」からは、ほど遠い人生を歩んできた。強いて言うならソフトテニスか。

卒業後、企業に入り、そこで始めた。教員になり、部顧問になったのをきっかけに多くの人に教えを請い、自分でも試合に出るようになっていつの間にかのめり込み、「東京名古屋大阪三都市教員親睦大会四連覇」等、小さな大会ではチョクチョク勝てるようになった。今も試合に出ている。顧問としても、近畿大会、インターハイに何度か連れて行くことが出来た。とはいえ、「究めた」とはとても言えない。

中学ではバレーボール(9人制)、6人制に変わったのをきっかけに高校では毎日ソフトボールをして帰り、大学ではマンドリン。卒業後企業へ。研究室に配属され、半導体に没頭。研究所には大学のようにサークルがあり、ソフトテニスを始めた。一方で合唱(指揮をした)、フォークソング(簡単なコードストロークなら出来るようになった)。教員になり、カウンセリング講座に通い、フォークソング部(文化祭でギター片手に歌ってた)、化学部(大阪府教育委員会最優秀賞をもらい、テレビ出演)、ソフトテニス部等の顧問の傍ら、子供が生まれて一緒に遊ぶうちに折り紙に凝り、散歩に連れて行くうちに雑草を覚え、40過ぎてマラソン(3時間を切りたかったが…)。

色々手を出してきた。「究める」ことは出来なかったが、それぞれをそれなりに身に付け、興味自体は持続していることが今の自分をつくっていると言っていいだろう。50を過ぎて重度5(最重度)の母を自宅介護した。話すことを忘れ、食べる方法(飲み込むこと)を忘れ、文鳥のおどり食いをし、行方不明になる母。ビックリするようなこともあったがごく自然に介護できたのは、多種多様な興味と発想が、いざとなると何にでも逃げずに向かって行かせてくれたからだと思う。

「ひとつのことを究める」ことはすごいことではあるが、色々なことに挑戦し、それなりに身に付けていくのもまた「究める」ことなのかもしれない。社会は無名戦士で成り立っているのだから。